百科事典マイペディア 「倶利伽羅峠の戦」の意味・わかりやすい解説
倶利伽羅峠の戦【くりからとうげのたたかい】
→関連項目礪波山
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
礪波山(となみやま)の戦とも。1183年(寿永2)5月11日,越中と加賀の国境倶利伽羅峠(富山県小矢部市・石川県津幡町)で,源義仲と平氏方の追討軍の間で行われた戦。1180年(治承4)の挙兵以来,信濃および北陸地方に勢力をのばした義仲に対し,追討軍は4月に京都を発し,越前・加賀の源氏方の軍を破って越中へ侵攻。義仲はこれを迎え撃つために越中に進出,5月11日夜,倶利伽羅峠で交戦,大勝した。「源平盛衰記」には,義仲軍が角に松明(たいまつ)をつけた牛で平氏軍を攻めたとの記事がある。この戦の敗北以後,平氏は体勢を立て直せず,7月には都落ちし,再び京都に戻ることはなかった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加