日本大百科全書(ニッポニカ) 「偽ドミトリー」の意味・わかりやすい解説
偽ドミトリー(にせドミトリー)
にせどみとりー
Лжедмитрий/Lzhedmitriy
(1)1世(?―1606) ロシアのツァーリ僭称(せんしょう)者(在位1605~06)。幼少で死んだイワン4世の末子ドミトリーの名をかたり、1601年にポーランドに現れ、ドニエプルのコサックやポーランド士族などからなる軍を率いてロシアへ侵入(1604)、ボリス・ゴドゥノフ帝の死後の混乱に乗じ、ロシアの帝位につく。親ポーランド政策をとったために信望を失った。ロシア貴族の扇動でモスクワに反乱が起き、06年5月17日に殺された。(2)2世(?―1610) 前歴は不明。ドミトリーの名をかたり、ポーランド軍、コサックを率いてモスクワに迫った(1607)。モスクワ攻略に失敗すると近郊のツシノ村に本拠を構え、皇帝ワシリー4世の軍と2年近く対峙(たいじ)した。支配下の町や村を略奪したが、内部分裂を利用したワシリー4世によってカルガに追われ(1609)、翌年12月11日そこで殺された。
[伊藤幸男]