元吉原(読み)もとよしわら

精選版 日本国語大辞典 「元吉原」の意味・読み・例文・類語

もと‐よしわら‥よしはら【元吉原・本吉原】

  1. [ 一 ] 元和三年(一六一七)それまで江戸に散在していた遊女屋を葺屋町(東京都中央区日本橋堀留町・人形町)付近に集めた幕府公認の遊郭。江戸町一・二丁目、京町一・二丁目、角町から成る。葭(よし)一面に生い茂っていたところから葭原と称したものを吉原と改めたもので、明暦三年(一六五七浅草移転し、それを新吉原と呼ぶのに対していう。
    1. [初出の実例]「軒もるや富沢町の暮の月 もとよし原もうらがれになる」(出典:俳諧・独吟一日千句(1675)第五)
  2. [ 二 ] ( 元吉原 ) 静岡県富士郡の旧村名。昭和三〇年(一九五五)吉原市(現在は富士市)に合併中世旧東海道吉原宿の所在地。寛永一六年(一六三九高潮の被害を受け、宿は中吉原に移転し、延宝八年(一六八〇)の高潮の被害を受けてさらに本町へ移転した。

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日本歴史地名大系 「元吉原」の解説

元吉原
もとよしわら

[現在地名]中央区日本橋人形町にほんばしにんぎようちよう二―三丁目・日本橋富沢町にほんばしとみざわちよう

元和三年(一六一七)公許され、同四年一一月に開業した遊廓(江戸紀聞)。寛永江戸図によればのちのさかい町の東、禰宜ねぎ町・尾張おわり町の南にあり、南は入堀(浜町堀)。吉原と称され、明暦三年(一六五七)の大火後に浅草へ強制移転となるまで日本橋地域にあった(御府内備考)。江戸には都市化の進展とともに各所に遊女屋(傾城町)が叢生していたが、慶長一七年(一六一二)庄司勘右衛門(後に甚右衛門と改める)はそうした遊女屋を代表して、江戸に散在する傾城町を統合し公許遊廓を設置したい旨奉行所に願出(守貞謾稿・洞房語園)、元和三年堺町の東隣に方二町の地を与えられて遊廓を建設した(江戸紀聞)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「元吉原」の意味・わかりやすい解説

元吉原
もとよしわら

静岡県富士市東部の一地区。旧元吉原村。富士川河口から東に延びた砂州上にあり、北は浮島沼低湿地、南は駿河(するが)湾に面する。江戸時代初め吉原宿が置かれたが、1639年(寛永16)の津波で大被害を受け、吉原宿は北へ移転。そのため元吉原という。隣接した吉原湊(みなと)もたびたび津波、漂砂の被害を受けたが、現田子浦港(たごのうらこう)に改修され、岳南地方の重要港となる。

[川崎文昭]

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世界大百科事典(旧版)内の元吉原の言及

【吉原】より

…これは江戸の市街の発展に伴い,かつての葭原が商業地帯に近接した繁華地となったための政策の見直しであり,翌57年の明暦大火による類焼は移転を決定的とし,業者らは浅草山谷(現,台東区千束4丁目)の地を選び,同年8月に移転を完了した。以後この地を〈新吉原〉と呼ぶのに対し,旧地を〈元吉原〉と称するようになった。新吉原への移転に反対した業者に対し,幕府は敷地の5割増,引越料1万両余の下付,夜業の許可,火消役などの町役免除を条件とした。…

※「元吉原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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