日本大百科全書(ニッポニカ) 「光悦茶碗」の意味・わかりやすい解説
光悦茶碗
こうえつぢゃわん
桃山・江戸初頭を代表する文化人、本阿弥(ほんあみ)光悦がつくった茶碗。光悦は刀剣の目利きなどを家職とする京都の名門本阿弥家の分家に生まれたが、むしろ本人は家業を離れて趣味三昧(ざんまい)に生きたと推測される。京都の文化人との交流を深め、1615年(元和1)には鷹峯(たかがみね)を徳川家康から拝領し、鷹峯山隠士大虚庵(たいきょあん)を称して、作陶に手を染めたらしい。わび茶の楽(らく)茶碗づくりを家職とする楽吉左衛門常慶と親交を結び、手捏(てづく)ねの楽茶碗づくりを開始したらしいことが彼の手紙から判断される。光悦は、黒楽、赤楽、飴釉(あめゆう)、白楽などの釉薬を楽家の伝統に従って調合したり、楽家その他から入手し、自由無碍(むげ)な造形精神により、個性の赴くままに一碗一碗心のこもった名作をつくりあげた。それぞれに銘がつけられて伝世しており、「不二山(ふじさん)」(国宝)、「加賀光悦」「雨雲」「雪峰(せっぽう)」(以上重要文化財)、「七里(しちり)」「時雨(しぐれ)」「毘沙門堂(びしゃもんどう)」「乙御前(おとごぜ)」などが彼の作であると折紙をつけられている。
[矢部良明]
『林屋晴三編『日本陶磁全集22 光悦ほか』(1977・中央公論社)』