狭義に解釈すれば尾形(おがた)光琳(1658―1716)が描いた模様をさすが、一般にはその作風を踏襲した琳派およびその亜流の模様をも含めていう。写生風でありながらこれを超脱し、流麗な線と瀟洒(しょうしゃ)な色彩で独特の装飾美を生み出した光琳の模様は、彼の生前からすでに世に喧伝(けんでん)されていた。しかも1727年(享保12)刊の『美女ひなかた』の序に「珍らかな模様を光琳の筆に染め……」とあるから、彼の死後もその流行は衰えることなく、かえってますます世人の渇望するところとなったことがわかる。光琳模様という概念も、このころから確立したものと思われる。ちなみに、18世紀前半期に刊行された小袖雛形(こそでひながた)から、光琳模様の名称を取り上げてみると次のようなものがある。光琳きく「天の橋立」1727年(享保12)。光琳杜若(かきつばた)、光琳梅、光琳菊「染色の山」1732年(享保17)。光琳渦水「音羽の滝」1737年(元文2)。光琳桔梗(ききょう)「三千風」1745年(延享2)。光琳水「都の春」1747年(延享4)。光琳松「滝の流」1755年(宝暦5)。
[村元雄]
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