入郷村(読み)いりごうむら

日本歴史地名大系 「入郷村」の解説

入郷村
いりごうむら

[現在地名]茂木町入郷

牧野まぎの村北に位置し、西は那須郡小原沢こはらざわ(現烏山町)に接する。慶安・元禄・天保各郷帳とも村名がみえず、天保年間(一八三〇―四四)の改革組合村では牧野村枝郷とある。しかし享保年間(一七一六―三六)に作成された「茂木明細記」および旧高旧領取調帳では、入郷村として独立して記載されていることから、実質的には早くから独立村として扱われていたものと思われる。「芳香誌料」では寛文年中(一六六一―七三)に分村したという。常陸谷田部藩領。「茂木明細記」によれば村高六二一石余、村内は上・下二組に分れる。藩領に報徳仕法が導入され、天保七年の凶作には、延べ一三人に御救米として米五斗二升、稗九斗五升が下された。


入郷村
にゆうごうむら

[現在地名]九度山町入郷

九度山村の西、丹生にう川が紀ノ川に合流する付近に位置する。西は慈尊院じそんいん村。「続風土記」は「村名古は丹生郷と書けりといひ伝ふ、慈尊院丹生明神の氏下の本村なれは丹生郷と云ふなるへし」と記す。古くは丹生川ともよばれたらしく、貞応二年(一二二三)一一月日付の高野山平等心院所領注文(西南院文書)に「丹生川里房并敷地壱処」とみえるのが当地とされる。また弘安八年(一二八五)九月日付の高野山金剛峯寺寺領注文(「続風土記」所収)には丹生川郷とみえる。応永三年(一三九六)二月二九日付の官省符河南方田数目録(又続宝簡集)によれば、丹生河村分として田三町三反三〇歩、畠四町四反二〇歩、在家六宇、在家下地五反小四〇歩とあり、官省符かんしようふ庄に含まれた地であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android