八乙女村(読み)やおとめむら

日本歴史地名大系 「八乙女村」の解説

八乙女村
やおとめむら

[現在地名]箕輪町大字中箕輪なかみのわ 八乙女

深沢ふかさわ川中流左岸、扇状地上にあり、西方山麓下古田しもふるた村、東にやや低く大出おおいで村、北は長田ながたの原に続いている。

村名の初見は宝徳三年(一四五一)の小笠原持長安堵状案(諏訪大社下社文書)で、

<資料は省略されています>

とあり、諏訪社下社の神領として安堵されている。金原かなはらは深沢川上流、左岸の山麓で上古田村の旧跡である。中世を通じて諏訪社下社の所役に勤仕し、天正六年(一五七八)の下諏訪秋宮造宮帳にも「一秋宮外籬二間造宮 伊那之金原・八乙女ヨリ立之」とある。また、天正一九年の信州伊奈青表紙之縄帳には村位は中、村高は「百四拾石壱斗五升五合弐勺 八乙女」と箕輪領の部に属しているが、「保科御事歴」によれば、慶長六年(一六〇一)六月、高遠たかとお城主保科正光は家老松沢・北原らに書を送り、

<資料は省略されています>

と、八乙女村は高遠領であるから大久保長安の指図なくして他に渡してはならぬことを命じている。


八乙女村
やおとめむら

[現在地名]今庄町八乙女

田倉たくら川が日野川に注ぐ地の北側にあり、東は社谷やしろだに村、西は湯尾ゆのお村、南はひうち村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名がみえ、高一〇〇・七二九石。


八乙女村
やおとめむら

[現在地名]夷隅町八乙女

作田さくだ村の東に位置する。寛文四年(一六六四)の堀直景領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、苅谷藩領。元禄郷帳では高一九一石余で、幕末まで同高

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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