八反田村(読み)はつたんだむら

日本歴史地名大系 「八反田村」の解説

八反田村
はつたんだむら

[現在地名]田舎館村八反田

浅瀬石あせいし川氾濫原の低地にあり、東は枝川えだがわ村、南は畑中はたけなか村、南東は田舎館村に接する。

天文年間(一五三二―五五)津軽郡中名字に「八段田」とある。天正一三年(一五八五)の田舎館落城に際し、大浦(津軽)為信に隠し水門を内通して取立てられた八反田宇兵衛がいたという。

貞享元年(一六八四)の郷村帳に、寛文四年(一六六四)以降の新田として高一七三・八石とある。


八反田村
はつたんだむら

[現在地名]福崎町南田原みなみたわら

長目ながめ村の北、中島なかしま村の西に位置し、いち川左岸の沖積平野に立地する。神東じんとう郡に属した。中世田原庄に含まれた。永正九年(一五一二)一〇月日の田原庄本所分段銭田数注文(九条家文書)名主である八反田(田数六段)の五郎衛門の名がみえる。慶長国絵図に八段田村とみえ、その西に八反田ともみえる。正保郷帳では田方二八七石余・畑方一三石余、「野有」と注記される。


八反田村
はつたんだむら

[現在地名]熊本市田迎たむかえ出仲間いでなかま

東と南は田井島たいのしま村、西は本庄手永の近見ちかみ村道、北は出仲間村である。田迎手永に属し、「国誌」に「出仲間ノ内」とある。宝暦一一年(一七六一)の下ケ名寄帳では惣畝数二六町六反余、うち御蔵納は田畑二五町九反五畝余、高四一六石七斗余で、他は永荒・請藪などである。下ケ名には七坪しちのつぼ北坪きたのつぼ・壱割など条里遺構を示すものがある。


八反田村
はつたんだむら

[現在地名]加古川市平岡町八反田ひらおかちようはつたんだ

中野なかの村の南西に位置する。正保郷帳に村名がみえ、田方九〇石余・畑方一石余。寛延三年(一七五〇)村明細帳(加古川市蔵)によれば高一一三石余、うち永引一〇石余、田五町九反・畑一反余、旱魃所、越石六石余、他村より当村への出作高二〇石余、小物成は犬米・草藁銀を納めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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