八幡池
はちまんいけ
[現在地名]安城市里町 北歌口
碧海台地上の窪地にあって、周囲の高地からの落水が流れ込むところにあった。鷺蔵池(現豊田市)から八幡池にわたった水は猿渡川に入って、今村をはじめ一二ヵ村の用水となっていた。
天明七年(一七八七)粟寺新郷(現豊田市)地内の鷺蔵池の堤を切下げたため、刈谷藩領内では水害の危険にさらされ、里村をはじめとする一二ヵ村と岡崎藩領鷺蔵池回りの村々は対立、寛政二年(一七九〇)幕府の裁許で里村側の勝訴となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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