日本大百科全書(ニッポニカ) 「八海事件」の意味・わかりやすい解説
八海事件
やかいじけん
1951年(昭和26)1月24日夜、山口県熊毛(くまげ)郡麻郷(おごう)村(現田布施(たぶせ)町)八海に住む老夫婦が自宅で殺され金を盗まれた事件。通算7度、延々17年8か月に及ぶ大裁判で知られる。犯人として同村の経木製造業吉岡晃(あきら)が逮捕され、さらに人夫の阿藤周平以下5人が逮捕された(1人は翌日釈放)。5人は強盗殺人の疑いで起訴されたが、公判廷では吉岡以外の4人が犯行を否認し、終始無罪を強く主張した。52年6月第一審山口地裁岩国支部は事件を5人の共同犯行と認め、阿藤に対し死刑、他の4人に対して無期懲役を言い渡した。第二審の広島高裁も53年9月ほぼ一審判決を支持した。吉岡はこの段階で服役したが、他の4人はさらに上告、最高裁は57年10月15日、原判決には事実誤認の疑いがあるとしてこれを破棄した。そこで広島高裁は事件の審理をやり直し、59年9月23日、全員無罪の言渡しをした。今度は検察側が上告し、最高裁は62年5月19日、この原判決をふたたび破棄した。そこで、広島高裁は三たび事件を審理し、65年8月30日、またもや阿藤の死刑を含む全員有罪の判決を言い渡した。これに対し阿藤らは上告し、最高裁は68年10月25日、ようやくこの上告を認め、原判決を破棄し、被告人全員に無罪を言い渡した。
この八海事件の裁判は、高裁と最高裁の間を3度往復し、死刑→無罪→死刑→無罪と結論が変遷した点で非常に珍しいばかりでなく、1955年、弁護人の正木ひろしが著書『裁判官』を出版してこの裁判を批判し、翌56年には映画『真昼の暗黒』(監督今井正)までが製作されたのに対し、当時の田中耕太郎最高裁長官が「世間の雑音に耳をかすな」と裁判官に訓示する一幕もあり、裁判批判論争のきっかけになった点でも世間の注目を浴びた。
[西原春夫]
『正木ひろし著『八海裁判――有罪と無罪の十八年』(中公新書)』▽『正木ひろし著『八海事件』(1983・三省堂)』