改訂新版 世界大百科事典 「裁判批判」の意味・わかりやすい解説
裁判批判 (さいばんひはん)
一般国民が,言論を通じて,特定の事件についての裁判の内容を批判すること。真摯(しんし)な裁判批判が成立するためには,誤判による人権侵害をただそうとする批判者の意思と,裁判が国民の付託に基づいて行われるという国民主権の思想,そして言論の自由の保障が条件となる。フランスでは,すでに18世紀にボルテールが熱心な裁判批判を行っていたが,19世紀末に起きたドレフュス事件におけるゾラの活動がとくに有名である。アメリカでは,サッコ=バンゼッティ事件の裁判(1921)に対して多くの批判が加えられ,死刑執行後50年を経て州知事が被告人らの名誉回復を宣言した例がよく知られている。日本では,旧憲法の下においても裁判批判が行われなかったわけではないが,言論の自由が厳しく制限され,天皇の名において裁判が行われていた当時にあっては,裁判批判が大きな広がりと力を持つことは困難であった。これに対して,人権尊重と国民主権を原理とする日本国憲法が施行された後に,裁判批判が頻繁に見られるようになったのは自然ななりゆきであった。その最も顕著な例は,松川事件における死刑を含む有罪判決に対して,広津和郎を中心に展開された批判である。
このように,今日の日本において,裁判批判は珍しい現象ではなく,これを禁じる法律もない。しかし,裁判批判は本来許されるべきでないという考え方もある。とくに問題とされるのは,訴訟進行中の事件について,マスコミや大衆運動を通じて展開される批判である。裁判批判に反対する論者は,本来法廷で証拠と法定の手続に基づいて判断されるべき問題を,部外者が独自の判断で論ずるべきでないとする。また,世論の力で裁判に影響を与えようとすることは,司法権の独立と権威をそこなうというのである。ちなみにイギリスでは,裁判所に予断を与えたり,裁判所を中傷するとみなされた論評は法廷侮辱(コンテンプト・オブ・コート)として罰せられることがあり,裁判批判は制限されている。これに対して,裁判批判の自由を主張する論者は,国民の主権に発する司法権の行使を,国民が公正な裁判の実現のために真剣に批評することは,当然の権利であり,言論の自由の一部であるとする。また,裁判官の良心に訴える批判は,なんら司法の独立性を脅かすものではないとする。さらに,この立場からは,松川事件のように,裁判批判を通じて,誤った有罪判決がただされ,冤罪が晴らされた例の少なくないことが,強調される。
執筆者:後藤 昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報