20世紀日本人名事典 「八田宗吉」の解説 八田 宗吉ハッタ ソウキチ 明治〜昭和期の政治家 衆院議員(政友会)。 生年明治7年10月(1874年) 没年昭和13(1938)年1月16日 出身地福島県 旧姓(旧名)八田 吉之丞 学歴〔年〕福島中卒 経歴日本化学工業、福島県農工銀行、会津電力などの重役を務めた。大正6年以来衆院議員当選6回、政友会に属し、福島県政友会顧問を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「八田宗吉」の解説 八田 宗吉ハッタ ムネキチ 肩書衆院議員(政友会) 旧名・旧姓旧名=吉之丞 生年月日明治7年10月 出身地福島県 経歴日本化学工業、福島県農工銀行、会津電力などの重役を務めた。大正6年以来衆院議員当選6回、政友会に属し、福島県政友会顧問を務めた。 没年月日昭和13年1月16日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八田宗吉」の解説 八田宗吉(1) はった-そうきち 1808-1877 江戸後期-明治時代の治水家。文化5年生まれ。生家は陸奥(むつ)河沼郡(福島県)八田野村の庄屋。会津(あいづ)藩より戸ノ口堰(ぜき)開削を命じられ,天保(てんぽう)6年飯盛山弁天洞をほりぬいて猪苗代(いなわしろ)湖の水を会津盆地にとおした。明治10年死去。70歳。名は寛貞。通称は吉兵衛。 八田宗吉(2) はった-そうきち 1874-1938 明治-昭和時代前期の政治家。明治7年10月生まれ。生地福島県日橋(にっぱし)村の村長,県会議員をへて,大正6年衆議院議員(当選8回,政友会)。日本競馬会設立委員などをつとめて競馬法の制定につくし,馬議員といわれた。昭和13年1月16日死去。65歳。福島中学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by