内房村(読み)うつぶさむら

日本歴史地名大系 「内房村」の解説

内房村
うつぶさむら

[現在地名]芝川町内房

長貫ながぬき羽鮒はぶな下稲子しもいなこ三村富士川を隔てて南に位置する。江戸時代は庵原いはら郡に属した。身延みのぶ道が通る。

〔中世〕

中世蒲原かんばら庄のうち。建治四年(一二七八)と推定される二月二三日付日蓮書状(日蓮聖人遺文)に「うつふさの尼こせん」とみえ、当地の尼御前が日蓮に小袖を送っている。弘安三年(一二八〇)八月一四日日蓮は父親の百箇日忌布施料に一〇貫文を送ってきた「内房女房」に書状を送っており(日蓮書状写)、当地には早くから日蓮の信者がいた。観応の擾乱に際して観応二年(一三五一)一一月二九日足利尊氏軍が小勢でさつた山に陣を布いたのに対して、足利直義軍は大軍を擁して攻めかかり、搦手の大将石堂義房・頼房父子が「宇都部佐」へ回って押寄せたという(「太平記」巻三〇)。同年一二月一一日由比ゆい(現由比町)蒲原かんばら(現蒲原町)での合戦に勝利した足利尊氏は、なお内房山に陣取る直義党との決戦のため小笠原政長に一族を率いて参陣するよう命じている(正平六年一二月一七日「足利尊氏御判御教書」小笠原文書ほか)。尊氏方に属した金子信泰は内房ほかの要害を警固し、一二月一一日の富士河原および蒲原河原で直義方と戦っている(正平七年正月八日「金子信泰軍忠状」早稲田大学荻野研究室所蔵文書)

天文二一年(一五五二)四月一七日今川義元は先年の乱における奔走、とくに富士川舟運における功労を賞し森彦左衛門尉に「内房郷橋上村」内の棟別一四間并四分一・押立ほかの諸役を免除し(「今川義元判物」森秀夫氏所蔵文書)、永禄九年(一五六六)四月二七日、今川氏真も彦左衛門尉に同様の諸役を免除している(「今川氏真判物」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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