内藤守三(読み)ナイトウ モリゾウ

20世紀日本人名事典 「内藤守三」の解説

内藤 守三
ナイトウ モリゾウ

明治期の政治家,実業家 衆院議員。 国勢調査の考案者。



生年
安政4年2月13日(1857年)

没年
昭和21(1946)年2月22日

出生地
安芸国加茂郡板木村(広島県広島市)

学歴〔年〕
東京開成学校

経歴
明治3年に上京し、東京開成学校に学ぶ。黒瀬川の浚渫事業などに携わったのち実業家となり、21年広島県の呉に呉土工会社を設立、同地の市街地整備に当たった。また、25年には高性能弾薬の研究を進めていた下瀬雅允に資金を提供し、日露戦争威力を発揮することとなる下瀬火薬の開発に協力。31年衆院議員となり、以来、3回連続して当選。この間、統計学者の杉亨二や呉文聡らとともに国勢調査の実施に尽力し、35年国会で法案制定。38年には日露戦争のため国内での調査は出来なかったものの、台湾での予備的調査を行い、大正9年の第一回国勢調査の下地を作った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内藤守三」の解説

内藤守三 ないとう-もりぞう

1857-1946 明治時代の政治家。
安政4年2月13日生まれ。広島や呉で実業家として活躍し,明治31年衆議院議員(当選3回)。超党派立場で国勢調査法案の成立につくした。昭和21年2月22日死去。90歳。安芸(あき)(広島県)出身。東京開成学校(東大前身)卒。著作に「回顧小話」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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