旺文社世界史事典 三訂版 「内陸アジア」の解説
内陸アジア
ないりくアジア
高山,オアシスを含む草原,砂漠からなるが,古来,アーリア・トルコ・モンゴル・チベット諸族が活躍し,前6世紀ころ生み出されたスキタイ文化は南ロシアからモンゴルまで共通の遊牧騎馬文化の特色を示している。中央アジアのオアシスにはアーリア系の都市国家が発達し,ここに東から月氏・烏孫 (うそん) ・クシャーナ朝・エフタル,西からアレクサンドロス大王が侵入し,バクトリアにはギリシア文化が伝わった。また,ソグディアナ地方のソグド人は,四方に通ずる好条件を利用してすぐれた商才を発揮し,ここに伝わった仏教は西域のクチャ・ホータン・トルファンをへて中国に東伝した。いっぽう,北アジア草原には匈奴 (きようど) ・鮮卑・柔然・突厥 (とつけつ) ・ウイグル・タングート・吐蕃が興亡して,中国歴代王朝と対立し,また彼らの一派はヨーロッパに侵入してフン族・アヴァール人・ハザール人(ユダヤ教に改宗)・ブルガール人として知られている。8世紀以降,イラン・トルコ・ウイグル族はしだいにイスラーム化して,現地に地方政権をたて,さらにインドに侵入して,インドのイスラーム化が始まった。また,モンゴル族は,西遼(カラ−キタイ)に続いてチンギス=ハンとその子孫による大規模な征服を行い,ティムールの帝国は,サマルカンドを中心にイスラーム文化の花を咲かせ,絹の道最後の繁栄期を迎えた。この帝国の解体後,中央アジアにはウズベク・キルギス系の小ハン国群(ブハラ・ヒヴァ・コーカンド)がおこり,北アジアにはタタール・オイラートの対立を統一したアルタン=ハンによるチベット仏教の導入がみられ,内陸アジアの東西にチベット仏教・イスラームが定着した。17〜18世紀の清の征服,19世紀のロシアの侵入で遊牧民は分割され,アフガニスタン・モンゴルの小国のほかは中国・ソ連の自治区として社会主義体制の建設を進めてきたが,中国・ソ連の対立の解消に伴い,民族主義も表面化した。
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