前田 雀郎
マエダ ジャクロウ
大正・昭和期の川柳作家
- 生年
- 明治30(1897)年3月27日
- 没年
- 昭和35(1960)年1月27日
- 出生地
- 埼玉県宇都宮市旧脇本陣
- 本名
- 前田 源一郎
- 別名
- 別号=榴花洞
- 学歴〔年〕
- 宇都宮市立商業学校卒
- 主な受賞名〔年〕
- 宇都宮市文化功労章
- 経歴
- 家業の足袋商を手伝い、大正5年「演芸画報」読者文芸川柳に入選、上京して講談社に入った。のち都新聞記者となり20年勤めた後会社員。川柳は少年時代から作り、阪井久良岐に師事したが、川柳の俳諧性を主張して破門。柳誌「句集」「せんりゆう」を発刊。昭和16年日本川柳協会創立委員長。30年川柳丹若会柳誌「句集」を「せんりゆう」と改め復刊。著書に「榴花洞日録」「句集ふるさと」「川柳と俳諧」「川柳探求」「川柳学校」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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前田雀郎 (まえだじゃくろう)
生没年:1897-1960(明治30-昭和35)
川柳作者。宇都宮生れ。本名源一郎。1912年宇都宮商業卒業。15年銀座の貿易商社に入り講義録で勉学。10世柄井川柳の門に入り17年講談社へ入社,《面白俱楽部》の川柳欄を手伝う。選者の岡田三面子,古句研究家の西原柳雨の知遇を得て古句への探究が始まる。18年阪井久良伎(くらき)門に入り22年都新聞へ入社,翌年都柳壇の選者となり〈古俳諧に就いて〉を連載,古川柳研究家としての地歩を固めた。24年《川柳みやこ》を発刊,36年に《せんりう》を発刊,丹若会を主宰した。44年宇都宮疎開,のち55年には《せんりう》を復刊。《川柳探究・川柳新風》の著書があり,〈音もなく花火のあがる他所の町〉などの句を残した。
執筆者:神田 仙之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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前田雀郎 まえだ-じゃくろう
1897-1960 大正-昭和時代の川柳作家。
明治30年3月27日生まれ。講談社,都新聞社で活躍。この間,阪井久良伎(くらき)に師事した。昭和11年「せんりう」を創刊。16年日本川柳協会委員長。昭和35年1月27日死去。62歳。栃木県出身。宇都宮商業卒。本名は源一郎。著作に「川柳と俳諧」「川柳探求」。
【格言など】子の手紙前田雀郎様とあり(「ふるさと」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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前田 雀郎 (まえだ じゃくろう)
生年月日:1897年3月27日
大正時代;昭和時代の川柳作家。日本川柳協会創立委員長
1960年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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