加藤徳成
かとうとくなり
[生]天保1(1830)
[没]慶応1(1865)
江戸時代末期の福岡藩執政。通称司書。安政3 (1856) 年執政となり,尊攘派の中心として藩内外に活躍。文久3 (63) 年,都落ちした公卿のうち三条実美ら5卿に対する処遇 (→七卿落 ) ,長州征伐における対策,薩長同盟の実現などに努力したが,のち藩内の佐幕派に押えられ辞職,自殺した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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加藤徳成 かとう-とくなり
1830-1865 幕末の武士。
文政13年3月5日生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士。安政3年(1856)執政にすすみ,藩の尊攘(そんじょう)派の中心人物となる。第1次幕長戦争では幕府軍の解兵に奔走。七卿落ちの三条実美(さねとみ)らを長門(山口県)から太宰府にむかえた。慶応元年家老となり,薩長同盟の実現につくすが,佐幕派の巻き返しで辞職。慶応元年10月25日自刃(じじん)。36歳。通称は司書。号は観斎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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加藤徳成 (かとうとくなり)
生年月日:1830年3月5日
江戸時代末期の尊王攘夷派志士
1865年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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