朝日日本歴史人物事典 「加藤徳成」の解説
加藤徳成
生年:天保1.3.5(1830.3.28)
幕末福岡藩の尊王攘夷派の志士。通称は司書。先祖加藤重徳は,黒田孝高が荒木村重の地下牢に幽閉されていたのを救出した功臣と伝えられる。嘉永6(1853)年ロシア遣日使節プチャーチンの長崎来航の際,藩兵を率い外国奉行川路聖謨を援護した。安政3(1856)年藩の執政に就任し藩内尊攘派の中心となる。第1次長州征討には征長軍解兵を主張し,慶応1(1865)年七卿落ちの三条実美らを太宰府に迎え入れた。同年家老に就任すると薩長同盟の実現を目指したが,佐幕派の藩主黒田長溥により辞職させられ,さらに博多天福寺で自刃を命じられた(乙丑の獄)。<参考文献>中野紫葉編『加藤司書』
(長井純市)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報