勝蓮寺
しようれんじ
矢作橋西口の東海道沿いにある。河原山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝や「三河堤」などによると、天台宗の僧恵尭が、師の専信僧都の薬師如来を矢作の里の柳樹の許に一宇を建てて納め柳堂薬師寺と称したと伝える。嘉禎元年(一二三五)親鸞の帰洛の途次、当寺別当舜行は直ちに法弟となり恵眼の法名を受け真宗に改めた。本尊弥陀尊像は親鸞より与えられたものという。松平八代広忠・家康・信康・石川日向守などの崇敬が厚く、広忠より采地を受け、江戸時代に寺域は年貢除地で寺領は三石であった。
勝蓮寺
しようれんじ
[現在地名]門川町川内
上井野の北方丘陵上にある。妙要山と号し、法華宗本門流。本尊は十界大曼荼羅。「宮崎県史蹟調査」によると、明徳年間(一三九〇―九四)に日蓮の弟子日道がこの地を巡錫し、志田氏の帰依を得て応永元年(一三九四)に創建したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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