門川町(読み)かどがわちよう

日本歴史地名大系 「門川町」の解説

門川町
かどがわちよう

面積:一二〇・四八平方キロ

東臼杵郡の東中央部に位置し、北は延岡市、南は日向市、西は北郷きたごう村と接する。東は門川湾・日向灘に臨む。三方を山に囲まれ、わずかに東部沿岸に面して平野が開ける。五十鈴いすず川は九左衛門くざえもん峠の麓から発して東流し門川湾に注ぐ。五十鈴川の北の鳴子なるこ川も門川湾へ流れ込む。東部に遠見山とおみやま半島が日向灘に突き出してリアス海岸をつくっている。おと島・枇榔びろう島などの島、唐船とうせんバエおおバエ・なかバエなどの岩礁が多く、風光明媚な日豊海岸国定公園の一面を示すとともに絶好の釣場としても知られている。JR日豊本線が南北に通り、それとほぼ並行して国道一〇号が走る。縄文時代後期から晩期にかけての門川南町かどがわみなみまち遺跡がある。当町域内の古墳は門川町古墳として昭和一一年(一九三六)に県指定史跡となった。

律令制度の国郡制のもと、当町域は「和名抄」記載の臼杵郡刈田かりた郷に属した。また「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条にみえる刈田駅が設置され、駅馬五疋・伝馬五疋が置かれていた。平安時代中期には当町域から日向市北部日知屋ひちやにかけて豊前宇佐宮領富田とんだ庄が成立している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「門川町」の意味・わかりやすい解説

門川〔町〕
かどがわ

宮崎県北東部,日向灘にのぞむ町。 1940年町制。奈良時代以来宇佐神宮の神領に属し,のち伊東氏,島津氏支配を経て天正 15 (1587) 年以来明治にいたるまで延岡藩に属した。中心集落にある門川港は沿岸漁業漁港で,イワシ,アジなどの干物ウニ,チリメンジャコなどの水産加工場が多い。門川湾内に防波堤のように浮ぶ乙島は海食によって生じた奇岩や海食洞が多い観光地。日向延岡新産業都市地域の住宅地区として宅地化も進んでいる。 JR日豊本線,国道 10号線が通じ,388号線を分岐する。面積 120.40km2。人口 1万7379(2020))。

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