川内川の河口に位置し、陸奥湾に面する。北に
正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に川内村二九石余とみえ、同年の郷村帳によれば二九・九四六石のうち二〇・八〇七石が畑であった。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には高四一六石余、うち
川内湊を擁し、港町として早くから栄えた。寛文七年(一六六七)難船救助など、天和二年(一六八二)切支丹禁制、貞享五年(一六八八)捨馬禁止の高札が立てられている(御領分高札集)。天和元年には酒屋が二軒あり(雑書)、享保二年(一七一七)には八軒となった(宇曾利百話)。安永六年(一七七七)町と称することを許され、宿老・検断が置かれている(雑書)。享和元年には田名部神社(現むつ市)に川内町と書いた大灯籠がつるされたという(原始謾筆風土年表)。享和の仮名付帳に六町が記されているが、藩政期末の北奥路程記(岩手県盛岡市中央公民館蔵)の絵図でみると、海浜沿いの往還筋の東に新町、中ほどに中町があり、中町の北に谷地町、中町・谷地町の西に神町、その西隣に
「余目記録」によると、南北朝末期には大崎直兼の知行下にあったと思われるが、大崎氏領は応永年中(一三九四―一四二八)に吉良氏から留守氏領に移ったという記事があり、このうちに当地も含まれていたものと推定される。
双葉郡西部に位置し、東は
金木新田一八ヵ村の一つで、元禄年間(一六八八―一七〇四)の開村と推定されるが不詳。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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