勝連グスク(読み)かつれんぐすく

日本歴史地名大系 「勝連グスク」の解説

勝連グスク
かつれんぐすく

[現在地名]勝連町南風原

勝連かつれん半島の付根付近、琉球石灰岩の独立的な丘陵上、標高約九八メートルに位置する。南方中城なかぐすく湾に面して眺望に優れ、金武きん湾や遠くは中城なかぐすく村の中城なかぐすくグスク、知念ちねん半島を望む。勝連城跡として国指定史跡。ユネスコの世界遺産登録。伝承では城主は一〇代にわたるとされ、英祖王統の英慈王の弟を初めとし六代までが勝連按司、七―八代が浜川按司、九代茂知附按司を経て一〇代が阿麻和利あまわりといわれる。阿麻和利は「おもろさうし」巻一六の三や八などに「かつれんのあまわり」と謡われており、また勝連は日本の京都や鎌倉にたとえられている。グスク内の建物も「たまのみうち」と美称されている。第一尚氏王朝末期、阿麻和利は中城グスクの護佐丸と争いこれを滅ぼし、その後さらに首里を陥れんとうかがっていたともいわれるが、逆に王府軍の攻撃を受け、これを迎え撃ったものの敗れて殺された。この護佐丸・阿麻和利の乱は天順二年(一四五八)のことという(「球陽」尚泰久王五年条など)。当グスクはその後廃城になったといわれているが、発掘調査の結果一部はなんらかの利用がみられたことが判明している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勝連グスク」の意味・わかりやすい解説

勝連グスク
かつれんグスク

沖縄県うるま市の南部勝連にあるグスク (城) 址。 14世紀頃の初代勝連按司の築城といわれるが明らかではない。尚泰久 (1454~60) の頃,阿麻和利 (あまわり) の居城であった。当時の日本,中国朝鮮からの貿易品が多く発見されている。なかでも,元代青花の磁器片の発見は注目された。 2000年世界遺産の文化遺産に登録。

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