勧学田(読み)かんがくでん

精選版 日本国語大辞典 「勧学田」の意味・読み・例文・類語

かんがく‐でん クヮンガク‥【勧学田】

〘名〙 平安時代大学寮典薬寮陰陽寮などの学生衣食をまかなうために設定された田地。平安末期にすたれた。→学校料田。〔三代格‐一五・延暦一三年(794)一一月七日・勅〕

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デジタル大辞泉 「勧学田」の意味・読み・例文・類語

かんがく‐でん〔クワンガク‐〕【勧学田】

平安時代、大学寮典薬寮陰陽寮おんようりょうなどの学生の、食料費用などをまかなうために設けられた田。学田

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改訂新版 世界大百科事典 「勧学田」の意味・わかりやすい解説

勧学田 (かんがくでん)

日本古代の律令制下で,大学の学生に食料を支給するために設けられた田地。《延喜式》によると不輸租田であり,賃租によって得た地子をその料にあてていた。757年(天平宝字1)奨学のため大学寮30町,雅楽寮・陰陽寮・典薬寮各10町,内薬司8町の公廨(くがい)田を置いたのにはじまるが,794年(延暦13)にいたりこの中の大学寮田30町に越前国加賀郡の大伴家持の没官田102町余を加え勧学田と称したのが正確な起源である。その後,没収賜給また寄付などによる改変がみられたが,しばらくは200余町の概数を保っていた。設置されたところは,前記の越前のほか,大和国十市郡,近江国栗太郡,山城国久世郡,河内国茨田・渋川両郡,越中国礪(砺)波郡,播磨国印南郡などである。しかし914年(延喜14)の三善清行の《意見十二箇条》によると,当時まで残っていたのは山城国久世郡の7町だけだったという。清行はその増置を求めているが実現せず,律令制の弛緩とともにやがて廃絶していった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勧学田」の意味・わかりやすい解説

勧学田
かんがくでん

平安時代,学問を奨励するため,大学寮,典薬寮,陰陽寮などに加賜して学生の費用に供した田地。天平宝字1 (757) 年大学寮に 30町,他寮に各 10町の公廨田 (くがいでん) が供されたのが実質的な始りだが,勧学田と呼ばれたのは延暦 13 (794) 年 130町あまりが大学寮に加賜されたときであった。

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