北会津(読み)きたあいづ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北会津」の意味・わかりやすい解説

北会津
きたあいづ

福島県西部北会津郡にあった旧村名(北会津村(むら))。現在は会津若松(あいづわかまつ)市北会津町地区で市の西部に位置する。1956年(昭和31)荒館(あらたて)、川南(かわなみ)の2村が合併して成立、名称は郡名によった。2004年(平成16)会津若松市に編入。なお、この編入に伴い北会津郡は消滅した。JR只見(ただみ)線、国道401号が通じる。阿賀(あが)川(大川)と鶴沼川(つるぬまがわ)(宮川)間の氾濫原(はんらんげん)にあり、阿賀川の旧河床(鶴沼川すなわち宮川沿岸)は江戸時代に開発された新田。水田単作地帯だが、近郊農業としてトマト、キュウリなどの野菜、花卉(かき)、果樹栽培も盛ん。

[安田初雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北会津」の意味・わかりやすい解説

北会津
きたあいづ

福島県西部,会津若松市北西部の旧村域。会津盆地の中央に位置する。 1956年荒館村と川南村が合体して北会津村が成立。 2004年会津若松市に編入。ほぼ全域平地で,水田地帯。会津の米どころとして知られてきたが,リンゴブドウなどの果樹栽培,ハウス栽培による花卉,イチゴメロンなどの生産も多い。また,精密機器や食品など製造業関連の工場も進出している。

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