日本大百科全書(ニッポニカ) 「北御牧」の意味・わかりやすい解説
北御牧
きたみまき
長野県中東部、北佐久郡(きたさくぐん)にあった旧村名(北御牧村(むら))。現在は東御(とうみ)市の南部を占める一地区。2004年(平成16)小県(ちいさがた)郡東部(とうぶ)町と合併、市制施行して東御市となる。旧北御牧村は、千曲(ちくま)川中流左岸に位置し、浅間(あさま)火山の泥流地を侵食した千曲川に沿う低地と、千曲川沿岸より100メートルほどの崖上に展開する蓼科火山(たてしなかざん)の泥流でできた台地の部分からなる。台地は中央部を流れる鹿曲川(かくまがわ)の侵食谷で、北部の八重原(やえはら)と南部の御牧ヶ原(みまきがはら)に分かれる。旧村域の中心部は千曲川沿岸の低地にあり、台地は水不足のため古くから原野のまま放置されてきた。近世の終わりごろから、八重原は蓼科山の山麓より用水路(八重原堰(やえはらぜき))を引いて水田化された。一方、御牧ヶ原は平安時代から官牧で馬の飼育が盛んであり、朝廷に名馬を献上したことなどから、御牧(みまき)とよばれた。明治になって開拓されたが水田化は遅れ、薬用ニンジンやジャガイモが特産である。台地上は眺望がよいので別荘や民宿も増えている。
[小林寛義]