十寸見蘭洲(読み)マスミ ランシュウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「十寸見蘭洲」の解説

十寸見 蘭洲(6代目)
マスミ ランシュウ


職業
河東節太夫

本名
天沼 熊作

別名
通称=紅葉堂 蘭洲

生年月日
嘉永2年

経歴
11代河東(秀翁)の門弟。紅葉堂蘭洲と名乗って継承。河東節考証に努め、明治41年刊の著書真澄声曲外題鑑」などがあり、この道の大家として知られた。

没年月日
大正5年 2月16日 (1916年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「十寸見蘭洲」の解説

十寸見 蘭洲(6代目)
マスミ ランシュウ

明治・大正期の河東節太夫



生年
嘉永2年(1849年)

没年
大正5(1916)年2月16日

本名
天沼 熊作

別名
通称=紅葉堂 蘭洲

経歴
11代河東(秀翁)の門弟。紅葉堂蘭洲と名乗って継承。河東節考証に努め、明治41年刊の著書「真澄声曲外題鑑」などがあり、この道の大家として知られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「十寸見蘭洲」の解説

十寸見蘭洲(初代)

没年享保16.6.25(1731.7.28)
生年:生年不詳
江戸中期,河東節の太夫。新吉原江戸町の娼家主人で,名は蔓蔦屋庄次郎。閑室蘭洲とも名乗った。初代十寸見河東とは同じ江戸半太夫門人で,河東が半太夫から独立する際に力を尽くしたといわれる。細井広沢に師事して能書のほまれ高く,初代河東の正本集『鳰鳥(仁本鳥)』(1719)や『夜半楽』(1725)は,蘭洲の書になる。

(吉野雪子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「十寸見蘭洲」の解説

十寸見蘭洲(6代) ますみ-らんしゅう

1849-1916 幕末-大正時代浄瑠璃(じょうるり)太夫。
嘉永(かえい)2年生まれ。11代十寸見河東(かとう)の門人。河東節の考証につとめ,「真澄(ますみ)声曲外題鑑」をあらわす。大正5年2月16日死去。68歳。本名は天沼熊作。通称は紅葉堂蘭洲。

十寸見蘭洲(4代) ますみ-らんしゅう

?-1852 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
7代十寸見河東(かとう)の弟子で,前名は蘭示(爾)。3代蘭洲の養子となり,文政5年4代を襲名。のち剃髪(ていはつ)して魯生を名のる。嘉永(かえい)5年11月12日死去。姓は斎藤。名は正(庄)蔵。

十寸見蘭洲(2代) ますみ-らんしゅう

1718-1800 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
河東(かとう)節。享保(きょうほう)3年生まれ。江戸新吉原の娼家(しょうか)の主人佐倉屋又四郎(一説に大津屋庄蔵)。3代十寸見河東の門人。寛政12年8月7日死去。83歳。

十寸見蘭洲(初代) ますみ-らんしゅう

?-1731 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
江戸新吉原の娼家(しょうか)の主人蔓蔦屋庄次郎。江戸半太夫の弟子で,初代十寸見河東(かとう)と同門。能書家として知られる。閑室蘭洲ともいう。享保(きょうほう)16年6月25日死去。

十寸見蘭洲(3代) ますみ-らんしゅう

?-1828 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
河東(かとう)節。2代蘭洲の門人で2代蘭示(爾)を名のる。師の養子となり,寛政4年3代蘭洲を襲名。のち俳諧(はいかい)師となり千束其爪と号する。文政11年1月12日死去。姓は竜岡。

十寸見蘭洲(5代) ますみ-らんしゅう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
河東(かとう)節。経歴は不明。通称は田川屋東太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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