日本歴史地名大系 「千々石村」の解説
千々石村
ちぢわむら
現千々石町域のすべてを村域とする。地内は海に臨む船津・下峰、その東の上峰、船津の東の野田・小倉・木場などからなる。千々石の地名は「肥前国風土記」高来郡条にみえる土歯(比遅波)池、つまりヒジハに由来すると考えられる。伝承上も池や海原が舞台となり、島原半島の中央にある
豊臣秀吉によるバテレン追放令の後、一五八八年(天正一六年)当地にイエズス会の学院が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報