日本歴史地名大系 「千手城跡」の解説 千手城跡せんじゆじようあと 新潟県:中魚沼郡川西町中屋敷村千手城跡[現在地名]川西町中屋敷中屋敷(なかやしき)の集落の西方、城(じよう)山(三八八メートル)にある。千手の平原地帯から信濃川対岸の十日町・中条(なかじよう)(現十日町市)方面を一望に収める。西方山中の仙田(せんだ)へ通ずる道が中腹を通る。東麓に長福(ちようふく)寺がある。山頂をT字状に削平し、削崖・空堀などで大小七郭に区画している。東側に帯郭をめぐらし、南の尾根にも塹壕と袖曲輪を設ける。帯郭は幅一〇―二〇メートル、長さ八〇メートルに及ぶ。三方へ派出する尾根に階段状に削平地が連なる。老松が枝を交え風格ある古城であったが、最近送電用の鉄塔が建てられ、著しく外観を損じている。建武年間(一三三四―三八)に新田氏の一族と考えられる梁田播磨守正則が居城、足利勢に敗れ破壊されたとの伝承がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by