改訂新版 世界大百科事典 「南山御蔵入騒動」の意味・わかりやすい解説
南山御蔵入騒動 (みなみやまおくらいりそうどう)
享保年間(1716-36)会津南山御蔵入領(現在の福島県南会津郡,大沼郡の大半)に起こった百姓一揆。この地方は1713年(正徳3)会津藩預り支配から幕府直支配となっていた。20年,劣悪な自然条件と,過酷な年貢増徴政策に苦しんでいた下郷農民が田島代官所へ強訴,その波紋はたちまち南山一円に広がった。一揆の要求は(1)貢租の軽減,(2)田方米納の強制に対する金納要求,(3)夫食(ぶじき)米籾確保のため江戸廻米中止,(4)郷頭(ごうがしら)制廃止などであった。幕府は勘定組頭坂本新左衛門を中心に吟味にあたった。結果は,首謀者として界(さかい)村名主兵左衛門ほか5名が断罪梟首(きようしゆ),田畑家財取上げ,過料など処罰された者377名にのぼった。
しかし騒動ののち,最大原因の江戸廻米は中止され,夫食貸取扱いに不正があったとして松川,弥五島,和泉田の3組の郷頭は過料の刑をうけ,役儀を召し上げられた。
執筆者:丸井 佳寿子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報