改訂新版 世界大百科事典 「南昌蜂起」の意味・わかりやすい解説
南昌蜂起 (なんしょうほうき)
中国共産党が1927年に江西省南昌で敢行した軍隊暴動。〈八・一南昌起義〉ともいう。労農運動にささえられて順調に進展するかにみえた北伐は,蔣介石の四・一二クーデタ,汪兆銘の七・一五反革命化で決定的な危機をむかえた。中国共産党は労働者,農民,軍隊の暴動による勢力回復の方針を決定し,8月1日,南昌駐屯の葉挺,賀竜,朱徳ら党員掌握下の軍隊3万が蜂起した。指導部は周恩来,譚平山ら。蜂起には国民党旗をかかげ,革命政府構想には宋慶齢ら国民党左派をも含んでいた。国共合作のもとに国民革命をおこなうとの中国共産党の意図の反映である。蜂起軍は一時南昌を制圧したが,5日,国民党軍にせまられて広州を目ざして退却した。国民党軍の追撃は急で,隊伍はほとんど壊滅同然となったが,朱徳のひきいる一隊は翌年4月,井岡山で毛沢東軍と合流して工農紅軍第4軍となった。8月1日は,解放後,党の指導する人民の軍隊の建軍記念日(八・一建軍節)となっている。
執筆者:狭間 直樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報