中国の革命家、教育者。文字改革運動の推進者。四川(しせん)省栄県の大地主の家に生まれ、日本に留学し、中国同盟会に参加。辛亥(しんがい)革命後帰国し総統府秘書、第二革命後袁世凱(えんせいがい)に追われフランスに亡命し、1915年蔡元培(さいげんばい)らと勤工倹学運動をおこす。1925年中国共産党に入党し、国共合作後の国民党中央執行委員となる。国共分裂後南昌(なんしょう)暴動(1927)に参加、ソ連に亡命、瞿秋白(くしゅうはく)らと中国語ラテン化新文字を創案。1938年帰国し中国共産党中央委員、魯迅(ろじん)芸術学院院長、東北大学校長などを務め、文字改革に尽力。新中国成立(1949)後も共産党中央委員、中国人民大学校長、中国文字改革委員会主任として活躍。著書には『辛亥革命』などがある。
[阿川修三 2018年6月19日]
中国の革命家,教育者。四川省栄県の人。はじめ1903年(光緒29)日本に私費留学し,成城学校速成中学在学中,変法により中国を改革する考えをすて,中国同盟会に加入。旧制六高理科に進んだが退学して革命運動に専念,反清と民権革命を鼓吹する雑誌《四川》を編纂し,また四川哥老会の有力者だった兄の関係で,哥老会,孝友会,三合会などの会党を統一した共進会を組織したりした。11年(宣統3)7月帰郷後四川の革命に奔走した。13年袁世凱に反対する第二革命に加わって敗れたのち,フランスに亡命した。パリ法科大学で学び,17年蔡元培らと帰国後,留仏勤工倹学運動を推進した。五・四運動後マルクス主義を受けいれ,22年成都高師学長時代に中国青年共産党を結成し,25年中共入党,八・一南昌蜂起に加わり,敗北後ソ連に亡命,在ソ中瞿秋白らと中国語ラテン化新文字を考案した。35年パリに行き,抗日統一戦線促進をめざす《救国時報》を刊行した。36年帰国後,延安大学,華北大学,建国後は人民大学の各学長を歴任,中共の中央委員,文字改革委員会主任など,文化教育面で指導的役割を果たした。《呉玉章回憶録》(1978)などがある。
執筆者:小島 晋治
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