コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

葉挺 ようてい Ye Ting

7件 の用語解説(葉挺の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

葉挺
ようてい
Ye Ting

[生]光緒22(1896).広東,恵陽
[没]1946.4.8. 山西,延安近郊?
中国の軍人。保定軍官学校卒業後,1924年中国共産党に入党し,モスクワに留学。帰国して北伐に参加後,蒋介石の反共クーデターに対抗して,1927年8月1日賀龍らと南昌暴動を起こし中国工農紅軍を誕生させたが,失敗しホンコンを経てドイツへ亡命。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

よう‐てい〔エフ‐〕【葉挺】

[1896~1946]中国の軍人。広東省恵陽県の人。北伐に軍功をたてたのち、南昌暴動広東コミューンに参加。新四軍軍長となったが、皖南(かんなん)事件国民党軍に捕らえられた。第二次大戦後釈放され、延安への帰途飛行機事故で死亡。イエ=ティン

イエ‐ティン【葉挺】

ようてい(葉挺)

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

葉挺【しょうてい】

葉挺(ようてい)

葉挺【ようてい】

中国共産党軍の指導者。広東省の人。1924年入党。ソ連留学。帰国後,国民革命軍第4軍独立団団長として,北伐に活躍し〈鉄軍〉の異名をとる。国共分裂後に1927年の南昌蜂起や広州の武装蜂起に参加。
→関連項目広州コミューン

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ようてい【葉挺 Yè Tǐng】

1896‐1946
中国,現代の軍人。国民革命軍第4軍連隊長として1926年北伐に参加,第24師長に昇進したが,27年8月1日の南昌蜂起に参加,第11軍長となる。27年12月の広州蜂起でも総指揮となったが失敗し,のち出国して香港に閑居していた。37年国共の再合作で華中の旧根拠地に残っていた紅軍をあつめて新四軍が編成されると,国共妥協人事で軍長となる。41年1月皖南(かんなん)事変で国府軍に捕らえられ,46年3月釈放されたが,4月飛行機事故で死亡。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

葉挺
ようてい / イェティン
(1896―1946)

中国の軍事指導者。広東(カントン)省恵陽県の人。字(あざな)は希夷(きい)。保定軍官学校6期生で、1922年孫文(そんぶん)衛隊団の営長となる。1924年、当時のソ連に留学、同年中国共産党に入党した。翌1925年帰国し、北伐時は第四軍独立団団長として最前線にたち、武勇をはせ、鉄軍とよばれた。1927年蒋介石(しょうかいせき)の上海(シャンハイ)クーデター(四・一二クーデター)のあと、南昌(なんしょう)暴動に第11軍第24師を率いて参加した。南下して広州コミューンに参加、コミューン崩壊後、香港(ホンコン)を経てドイツへ出国した。1938年1月、新四軍が形成されると軍長となり、抗日戦に活躍すると同時に、華中に根拠地を広げたが、1941年皖南(かんなん)事件で国民党軍に捕らえられた。1946年に釈放され、延安に向かう途中の4月8日飛行機事故で死亡した。[遠藤節昭]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の葉挺の言及

【広州コミューン】より

…国共合作崩壊後,瞿秋白(くしゆうはく)を中心とする中共指導部が,大衆的基盤をもつ広州でおこしたもので,秋収蜂起等の極左路線の一環である。葉挺らの指導のもとに,12月11日早朝,2000余の武装労働者の隊伍が広州全市を制圧してソビエト政府を樹立した。主席には香港海員スト(省港ストライキ)以来の輝ける指導者蘇兆徴が選ばれ(在モスクワ),実質的に計画をすすめた中共広東省委責任者の張太雷(1898‐1927)が代行した。…

【国民革命】より

… 孫文逝世後,広東政府は汪兆銘を中心とする国民政府に改組され,26年7月,蔣介石を国民革命軍総司令として北伐を開始した。国民革命軍はソ連赤軍に学んで党代表制を取り入れ,政治教育を行ったため,軍閥軍に比べて戦闘精神にひいで,とりわけ葉挺の独立団をはじめ,共産党員が重要な役割を果たした。農民運動が燃えあがった湖南はいうまでもなく,湖北でも江西でも民衆の支援を得た北伐軍は3ヵ月ばかりで長沙,武漢,南昌を手中にした。…

【新四軍】より

…4ヵ支隊。軍長葉挺,副軍長項英)とした。国共関係が悪化すると,41年1月新四軍司令部は安徽省南部で国民政府軍に包囲され,9000人が全滅,葉挺は捕虜となり項英は戦死した(皖南事変)。…

※「葉挺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

葉挺の関連キーワード国民革命軍奉天派白崇禧連隊長陳銘枢劉志丹国民革命軍新編第四軍国民革命軍第八路軍中国国民革命軍第八路軍朝鮮人民革命軍

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone