日本歴史地名大系 「南材木町」の解説 南材木町みなみざいもくまち 宮城県:仙台市仙台城下南材木町[現在地名]仙台市南材木町穀(こく)町の南、河原(かわら)町の北、通町(とおりまち)通(奥州街道)の両側町で、北東に南染師(みなみそめし)町、西裏は舟(ふな)丁。穀町へは西折して通じ、町並の長さは南北三町で(奥陽名数)、町方二四町の一六番目に列する(明治二二年城下町肝入検断職制写「仙台市史」所収)。寛永一一年(一六三四)の白石但馬佐藤小左衛門書状(永沼穎家文書)に「若林材木町」とあり、同年までには割出されていたと思われる。正保仙台城絵図に町名がみえる。仙台開府当初、材木専売権は材木町に許されていたが、同権利が北材木町・当町に移されるに伴い材木町は本材木(もとざいもく)町と称するようになった。 南材木町みなみざいもくちよう 大阪府:堺市堺南材木町[現在地名]堺市大(おお)町西(にし)一丁大町の西にあり、中浜(なかはま)筋を挟む両側町で北は甲斐町中浜(かいのちようなかはま)。町名は北組の北材木町と区別したもの。天文四年(一五三五)四月二八日念仏寺築地修理料差文(開口神社文書)にみえる「材木町」にあたり、「ならや」「玉井」「天王寺屋」「三宅」「さや屋」「のとや」「せにや」「きはたや」「扇や」「千松」「こ物や」「きゝやうや」「法善」「あほしや」の一四人が念仏(ねんぶつ)寺築地修理料を一貫文ずつ納めている。 南材木町みなみざいもくちよう 和歌山県:和歌山市和歌山城下新町南材木町[現在地名]和歌山市南材木丁一―三丁目休賀(きゆうか)町の南から大(おお)橋東詰に至る町。西は和歌川堤。休賀町を古く御材木(ございもく)町といったので、それに対する町名であろう。文政一三年(一八三〇)の御触書写(道成寺文書)に「是迄新通壱丁目船場と私ニ称し来り候所を南材木丁壱丁目、同弐丁目船場を同弐丁目、同三丁目船場を同三丁目」と改称したとある。同年の丁名増改時略図(田中家蔵)によれば、南から一丁目が約六二間、二丁目・三丁目が各約七九間で、一丁目は南側が橋向(はしむかい)町であったから間数が少ない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by