南河原村(読み)みなみかわらむら

日本歴史地名大系 「南河原村」の解説

南河原村
みなみかわらむら

[現在地名]南河原村南河原

現南河原村の北西部にあり、北は北河原きたがわら(現行田市)、東は犬塚いぬづか村、西から南にかけて上中条かみちゆうじよう大塚おおつか下川上しもかわかみ三村(現熊谷市)に接する。古墳跡および古墳後期の集落遺跡が数ヵ所ある。集落南部の水田地帯には奈良・平安期の条里遺構が埋没しており、天仁元年(一一〇八)の浅間火山灰堆積以前の遺構と認められている(南河原条里遺跡)。平安末期から、私市党の河原氏が当地辺りから北の利根川右岸までの地を領有していたといわれる。「蔭涼軒日録」明応元年(一四九二)九月六日条によると、河原盛直九代の孫にあたる備前入道友直が京都相国しようこく寺の蔭涼いんりよう軒主に自家の系図を見せている。


南河原村
みなみかわらむら

面積:五・八二平方キロ

県北部に位置し、北・東・南は行田市に囲まれ、西は熊谷市に接している。利根川右岸から約四〇〇メートルないしは一キロ隔たり、標高二〇―二四メートルの沖積平野妻沼めぬま低地の東部にあたる。南境を流れるほし川沿いと村の北部との、二条の東西に延びる自然堤防上に古くから集落が発達してきたが、その他の地域は水田と畑で、水田の総面積は畑の二倍に近い。東部には北から南へ酒巻さかまき導水路が縦断し、中部から西部にかけて川・北河原きたがわら用水宮前みやまえ堀・天神河原てんじんがわら用水・青木あおき堀など近世以来の用・排水が縦横に走っている。当村域を地質学的にみると、地下深く構造帯を軸にいくつかの断層で分断されていると推測され、地層北方へ傾動の傾向をもち、最近まで地盤の沈降運動が進んでいたとみられる。


南河原村
みなみかわらむら

[現在地名]幸区みやこ町・幸町一―四丁目・中幸なかさいわい町一―四丁目・南幸みなみさいわい町一―三丁目・やなぎ町・大宮おおみや町・堀川ほりかわ

多摩川下流右岸にあり、東は東海道川崎宿に接する。北方を大師河原だいしがわら用水が通る。「風土記稿」は、多摩川の南の河原を対岸荏原えばら八幡塚はちまんづか(現東京都大田区)農民が開墾したと伝える。河原・中辻子なかずし原辻子はらずしの小字からなり、辻子は草分百姓の開発単位を表すと考えられる。田園簿に「南川原村」とある。

近世を通し幕府直轄領。延享四年(一七四七)の稲毛川崎用水通田反別堰々諸色人足一件(横浜市添田文書)によれば田五一町一反余、畑三一町二反余、川崎宿定助郷を勤め、享保三年(一七一八)の助郷高六四四石(「川崎宿助郷帳」森文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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