美津島(読み)みつしま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「美津島」の意味・わかりやすい解説

美津島
みつしま

長崎県下県(しもあがた)郡にあった旧町名(美津島町(ちょう))。現在は対馬市美津島町(まち)地区。旧美津島町は1955年(昭和30)雞知(けち)町と船越(ふなこし)村が合併、美津島町となる。2004年(平成16)厳原(いづはら)、豊玉(とよたま)、上県(かみあがた)、峰(みね)、上対馬(かみつしま)の5町と合併、市制施行して対馬市となる。旧美津島町は、対馬の中央部に位置し、国道382号(対馬縦貫道路)が通じる。全域浅茅湾(あそうわん)に臨み、古くは遣唐使の寄航や防人(さきもり)の駐屯が行われた所。朝鮮半島を望む城山(じょうやま)(273メートル)には、667年(天智天皇6)に築かれた金田城跡(かねたのきあと)(国指定特別史跡)がある。東部の大船越瀬戸(おおふなこしせと)(元禄(げんろく)年間開削)、万関瀬戸(まんぜきせと)(明治期開削)は、対馬海峡と浅茅湾をつなぐ海上交通の要所であったが、現在は陸路でも大船越橋や万関橋に対馬縦貫道路を通ずる。浅茅湾の海洋美を核とする観光地であるとともに、イカの一本釣りを中心とする水産の町で、真珠養殖や蓄養漁業も盛んである。中心をなす雞知は旧要塞(ようさい)司令部や旧要塞重砲兵隊の置かれた所で、旧軍港の竹敷(たけしき)には海上自衛隊が置かれている。1979年、白蓮江(しれえ)に対馬空港が完成し、長崎、福岡への空路がある。

[石井泰義]

『『美津島町誌』(1978・美津島町)』

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百科事典マイペディア 「美津島」の意味・わかりやすい解説

美津島[町]【みつしま】

長崎県下県(しもあがた)郡,対馬中部の旧町。浅茅(あそう)湾沿岸を占め,東の大船越と西の万関(まんぜき)瀬戸で対馬海峡と朝鮮海峡をつなぐ。出入に富む沈降海岸壱岐(いき)対馬国定公園中屈指の景勝地。古代には朝鮮式山城とされる金田城が築かれ,中世には応永の外寇があった。江戸時代には捕鯨の基地としても知られ,幕末には対馬事件が起きている。主集落【け】知(けち)は中世の阿比留氏の本拠地で,第2次大戦前は対馬要塞(ようさい)の軍都,竹敷は海軍の要港であった。真珠の養殖が盛ん。万関瀬戸に万関橋がかかり,大船越西部に対馬空港がある。2004年3月下県郡厳原町,豊玉町,上県郡町,上県町,上対馬町と合併し,対馬市となる。120.06km2。8619人(2003)。
→関連項目金田城

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「美津島」の意味・わかりやすい解説

美津島
みつしま

長崎県対馬中南部を占める地域。旧町名。 1955年 雞知 (けち) 町と船越村が合体して発足。 2004年3月厳原,上県,上対馬,豊玉,峰の5町と合併して対馬市となった。浅茅湾に面し,属島として四つの有人島と 26の無人島がある。主産業はイカ一本釣り漁で,対馬海峡に面する賀谷と鴨居瀬は島内第1のするめ産地。浅茅湾内はハマチ,真珠の養殖と定置網が主。浅茅湾は古くから軍事上,交通上の要地で,第2次世界大戦前は海軍要塞地帯であり,中心集落の 雞知には陸軍要塞司令部が,その近くの竹敷には海軍要港部がおかれた。浅茅湾南岸の城山に特別史跡の金田城跡があるほか,史跡の根曽古墳群がある。洲藻の白岳原始林は天然記念物。浅茅湾沿岸は壱岐対馬国定公園に属する景勝地で,遣唐使防人などの旧跡もある。 雞知の外港樽ヶ浜は湾内交通の基点。その東部に対馬空港があり,長崎,福岡と結ばれる。国道 382号線が通じる。

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改訂新版 世界大百科事典 「美津島」の意味・わかりやすい解説

美津島 (みつしま)

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