塩田平東部に鎮座する。
「延喜式」に名神大社とみえる古社で、旧国幣中社。生島足島の神は宮中に奉斎される生島神・足島神の二座であるから、この地の国造(多氏及びその子孫金刺氏・他田氏)が、勧請したものと推察される。神殿は覆屋の中にあり、大社造で、すこぶる古式を存する。神殿を含む本殿は、周囲に池をめぐらす
社名は「新抄格勅符抄」神封部の天応元年(七八一)の条に、封戸一戸をあてられた記事を初見とし、貞観元年(八五九)に従四位上、同年二月に正四位下の神階を授けられた(三代実録)。
天文二二年(一五五三)東信濃を制覇した武田信玄は、この社に安堵状を献じ、次いで永禄二年(一五五九)越後の上杉謙信との決戦を前に戦勝の願文を捧げている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長野県上田市下之郷(しものごう)に鎮座。祭神は生島神(いくしまのかみ)、足島神(たるしまのかみ)の2座で、『古語拾遺(こごしゅうい)』に「大八洲(おおやしま)の霊」とある。創立年代は未詳。延喜(えんぎ)の制で名神(みょうじん)大社に列した。古くから領主の信仰厚く、天文(てんぶん)年間(1532~1555)、武田氏をはじめ、甲斐(かい)(山梨県)、信濃(しなの)(長野県)、上野(こうずけ)(群馬県)の諸領主がときに応じて社殿を修造し、願文、起請文(きしょうもん)を奉って崇敬した。現在、それらの願文、起請文83通が宝物として保存されている。旧国幣中社。本殿は池中の島にあり、内陣には床板がなく、土間の大地を御霊代(みたましろ)としている。例祭は9月19日。申寅(さるとら)の年の4月17~19日に式年御柱(おんばしら)大祭が斎行される。また毎年11月3日夜、本殿に向かって建つ摂社諏訪(すわ)神社の祭神を本殿に移し、翌年4月13日まで御粥(おかゆ)を煮て奉る御籠(おこもり)神事が行われる。
[森安 仁]
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