司馬凌海(読み)しばりょうかい

精選版 日本国語大辞典 「司馬凌海」の意味・読み・例文・類語

しば‐りょうかい【司馬凌海】

  1. 幕末明治医者語学者。本名島倉亥之助。佐渡の人。長崎蘭医学を修め、平戸開業、「七新薬」三巻を著わして声名を得た。維新後、医学校三等教授となり、文部大助教にまで累進語学に秀で、私塾春風社を開いて、ドイツ語を教える。著書「和洋独逸辞典」。天保一〇~明治一二年(一八三九‐七九

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「司馬凌海」の意味・わかりやすい解説

司馬凌海
しばりょうかい

[生]天保10(1839).2.28. 佐渡
[没]1879.3.11. 戸塚
医師,言語学者。諱は盈之,名は津,号は無影樹下船楼,五洋学人など。本姓は嶋倉,のちに司馬と改称。 12歳で江戸に出て唐津藩儒者山田寛に入門,次いで松本良甫に医学を学んだが,ゆえあって佐倉の順天堂に転じた。安政4 (1857) 年,松本良順について長崎に行き,J.L.C.ポンペに医学を学んだ。また語学の才能を発揮してポンペの通訳をつとめた。明治維新後,東京に呼ばれ,医学校で W.ウィリスの通訳をするかたわら下谷練塀町に語学塾春風社を開き,ドイツ語を教えた。明治1 (68) 年医学校3等教授,1870年少博士,72年大学大助教,73年宮内省5等出仕,74年元老院少書記官となったが,同年末にすべての官職を去り,76年愛知県病院医員兼教師となった。翌年辞職して開業。肺結核のために熱海転地療養し,帰京の途中で死亡した。主著『七新薬』『和洋独逸辞典』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「司馬凌海」の解説

司馬凌海 しば-りょうかい

1839-1879 幕末-明治時代の医師,洋学者
天保(てんぽう)10年2月28日生まれ。江戸で松本良甫(りょうほ),長崎でポンペにまなび,郷里の佐渡(新潟県)で開業。明治元年東京の医学校教授となる。英語,ドイツ語など6ヵ国語に通じ,5年日本最初のドイツ語辞典「和洋独逸辞典」を出版した。明治12年3月11日死去。41歳。本姓は島倉。名は盈之。通称は別に亥之助。字(あざな)は士虧。号は揖軒など。著作に「七新薬」など。

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