合理的予想仮説(読み)ごうりてきよそうかせつ(英語表記)rational expectations hypothesis

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

合理的予想仮説
ごうりてきよそうかせつ
rational expectations hypothesis

家計や企業などの経済主体が経済変数の将来の値(たとえば1年後の物価水準、つまり向こう1年間のインフレ率)について予想する場合、その経済変数の値を決定する客観的仕組みについての知識、すなわちこの仕組みについての経済理論を統計データによって具体化した計量経済モデルを使って、その変数の将来値を計算し、それを予想値として採用するという仮説。合理的期待仮説ともいう。
 この仮説はもともと1961年にJ・F・ミュースによって提唱されたものであるが、1970年代初めごろにR・E・ルーカスやT・J・サージェントらがこの仮説に注目し、これを主要な構成要素とするマクロ経済モデル、すなわち「マクロ合理的予想モデル」ないし「新しい古典派モデル」を構築し始めたので、にわかに脚光を浴びるようになった。この新型マクロ経済モデルの登場は、学界に「合理的予想革命」とよばれるほどの強烈な衝撃を与え、現代マクロ経済学の最大の焦点となっている。
 このモデルのもっとも注目すべき結論は、総需要管理政策によって実質国民所得や失業率のような実物変数を動かすことはできないという、完全に反ケインズ派的な結論である。で、当初、経済は供給曲線(フィリップス曲線)S0S0と需要曲線D0D0の交点E0で長期均衡状態にあったとしよう。失業率は自然失業率UNで、予想インフレ率は実際のインフレ率0に等しい。いま、拡大的な貨幣政策が発動され、名目需要増加率が加速され需要曲線がD1D1にシフトするとしよう。もしこの政策発動にもかかわらず予想インフレ率が0のままであれば、供給曲線はS0S0のままであり、経済の短期均衡点はE1点となる。実際のインフレ率は0から1へ加速されるが、失業率はUNからU1へ低下する。つまり短期的なインフレと失業のトレード・オフが成立する。しかし合理的予想仮説のもとでは、需要曲線をD1D1へシフトさせる政策発動の情報が与えられると(またはこの政策発動が正確に予想されると)、各経済主体はに示されたような経済モデルから長期均衡状態(UN)におけるインフレ率が2になることを知り、ただちに予想インフレ率を0から2へ引き上げる。その結果、供給曲線はただちにS1S1へシフトする。経済は短期均衡点E1を経由することなく、政策発動と同時に新しい長期均衡点E2へシフトする。この場合には、インフレ率が0から2へ加速されるだけで、失業率はUNのまま変化しない。つまり合理的予想仮説のもとでは、インフレと失業のトレード・オフは短期的にも不可能となるのである。
 実質国民所得や失業率の短期変動、すなわち景気循環の原因は、このモデルでは、「予想外の」インフレ率の変動に求められる。そしてR・E・ルーカスやR・J・バローはインフレ率の決定要因として貨幣量増加率を重視しているので、景気循環の原因は、結局、「予想外の」貨幣量増加率に求められることになる。またこのモデルでは、どのような貨幣政策ルールも予想に組みこまれて実物的効果を生まないので、M・フリードマンのX%ルールよりも優れた安定化効果の期待できるルールは存在しないことになり、さらに、X%ルールこそその単純さのゆえに「予想外の」貨幣量の変動を防止し、優れた安定化効果が期待できることになる。このように、この「マクロ合理的予想モデル」は、貨幣量を重視し、ケインズ派の安定化政策の効果を否定し、X%ルールを支持しているので、M・フリードマンの「貨幣主義型」に対して「貨幣主義型」ともよばれている。
 合理的予想仮説そのものに対しては、政策ルールを含む経済構造に関する学習過程を無視している点、および情報の収集・利用のコストを無視している点で非現実的であるという批判が提起されているが、この仮説は、合理的行動という経済学の基本的公準に合致する点、および内生変数の予想値を同じく内生変数としてモデル内で説明できる点において、他の予想仮説よりも理論的に優れた特徴をもっている。有力な対抗仮説である適応的予想仮説は、予想しようとする変数の過去の実際値だけから予想値を計算し、その他のすべての有用な情報を無視する点、および予想誤差が連続的に発生しても予想方式の変更を認めない点において、明らかに欠陥がある。
 最近ではマクロ合理的予想モデルに対するケインズ派による批判の重点は、合理的予想仮説そのものよりは、このモデルの他の構成要素、とりわけ、市場はつねに均衡するという均衡仮説と、生産活動は予想外のインフレに対してのみ反応するというルーカス型供給関数とに置かれるようになっている。マクロ合理的予想モデルとケインズ派モデルのいずれが真理に近いかは、つまるところ、経験的データによって支持される率がどちらが高いかによって判定されることになるであろう。(書籍版 1986年)[加藤寛孝]
『加藤寛孝「経済理論における予想形成仮説の検討」(『週刊東洋経済 近代経済学シリーズ』49~54号所収・1979~80・東洋経済新報社) ▽志築徹朗・武藤恭彦著『合理的期待とマネタリズム』(1981・日本経済新聞社) ▽谷内満著『新しいマネタリズムの経済学』(1982・東洋経済新報社) ▽R. E. Lucas, Jr. and T. J. Sargent, eds. Rational Expectations and Econometric Practice (1981, George Allen & Unwin, London) ▽D. K. H. Begg The Rational Expectations Revolution in Macroeconomics (1982, Philip Allan, Oxford) ▽S. M. Sheffrin Rational Expectations (1983, Cambridge U. P.)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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