古典学派とよばれるものに3種類ある。マルクスは、リカードを頂点とするその先行者たち、すなわちイギリスにあってはW・ペティに始まりアダム・スミスを経てリカードに終わるものと、フランスにあってはボアギュベールに始まりケネーを経てシスモンディに終わるものとの二つの系列を古典学派としている。そしてマルサス以降をすべて俗流経済学者とよんで古典学派から除外している。ケインズは、マルサスを無視したリカードをはじめとして彼以降のいわゆる「セーの法則」を信じる経済学者、J・S・ミル、A・マーシャル、A・C・ピグーその他を古典学派とよんで批判している。この二つに対して、経済学史の通説になっている古典学派は、アダム・スミスから始まってJ・S・ミルを集大成者とする一連の学者をさし、アダム・スミスの『国富論』(1776)からJ・S・ミルの『経済学原理』(1848)までの学説を取り扱っている。ここでは、この通説について述べることにする。
アダム・スミスを始祖とし、人口論のマルサス、地代論のリカード、「セーの法則」のJ・B・セーおよびJ・S・ミルを代表者とする古典学派は、自由競争を前提とし、労働価値説をとり、市場を媒介とする生産・分配の立体的分析を進め、経済学をほぼ一つの科学として体系化することに成功した。もちろん後年の学問の発達からみると、骨組みだけをつくったという感じはあるが、大綱を与えたものであり、好むと好まざるとにかかわらず、これに対する態度決定が経済学研究の第一歩であるという意味でまさに古典的である。マルサスの『人口論』(1798)は食糧と人口増加の関係を論じた古典であり、マルクスなど社会主義者によって、非歴史的な絶対過剰人口論であって、資本主義特有の相対的過剰人口を普遍化したにすぎないとして批判されてきたが、現在の世界的食糧危機のなかで新しい脚光を浴びるようになった。また彼の『経済学原理』(1820)の全般的供給過剰論はリカードその他の主流派によって否定されてきたが、ケインズによって再認識され『一般理論』の基礎となった。
しかしこの学派の理論の主流はリカードによって代表されている。彼の分配論の骨子は、(1)食糧に対する需要が限界耕作を決定する、(2)この限界耕作が「地代」を決定する、(3)労働者を維持するに必要な収穫量がその「賃金」を決定する、(4)限界耕作における一定量の労働の生産量とその労働の賃金との差が「利潤」を決定する、の4項に要約される。すなわち、労働者の賃金は、労働者が生存し仲間の数を増減なく維持するに必要なものとされる、いわゆる生存費説であり、賃金基金説や賃金鉄則によって、労働者は将来とも生活水準の向上が望めないものとされている。この賃金理論をマルクスは彼の理論の基礎としている。一方、社会の進歩、需要の増加とともに限界耕作が下級の土地に進むことによって得(とく)をするのは不労所得を得る地主階級だけである。資本家がほねおって得るものは利潤率の低下だけとなる。利潤率の低下はやがて生産の停止という事態を引き起こすことになろう。このリカードの地代論は地代の不労所得性を明らかにして、土地国有論に理論的武器を提供することになった。
アダム・スミスに代表される18世紀の古典学派は啓蒙(けいもう)思想時代のバラ色の楽観論であったが、リカード、マルサスに代表される19世紀のそれは暗いものへと変わった。フランスの学者はこれを悲観主義派とよんでいる。またR・カーライルは、その結論があまりにも暗いために、経済学を「陰鬱(いんうつ)なる科学」と非難した。
J・S・ミルは、「富の生産に関する法則と条件は、物理的真理の性質をおびている。……富の分配についてはそうではない。それはまったく人間の制度の問題である」と説いた。それは社会主義への可能性を示したもので、非マルクス主義的なイギリスの社会主義はミルの理論に基づいている。しかし、生産の法則と分配の法則を別々の半面に分けたことは、経済学の発展に大きな欠陥を残すこととなった。その後の経済学は生産の分析に偏って、分配論が希薄なものになってしまった。古典学派の特色は、価格の構成部分の分析を通して生産と分配を一体のものとして考察するところにあったが、ミルによって別々の半面に分けられ、概念的整頓(せいとん)のうえでは申し分ないものの、具体的・実践的認識の薄い生気のないものとなってしまった。マルクスはこれに「古典派経済学の破産宣告である」と断定を下した。ミルの『経済学原理』の出版された1848年に『共産党宣言』が出ている。
[山田長夫]
『舞出長五郎著『経済学史概要 上』(1937・岩波書店)』▽『内田義彦著『経済学史講義』(1961・未来社)』▽『小林時三郎著『古典学派の考察』(1966・未来社)』▽『羽鳥卓也著『古典派経済学の基本問題』(1972・未来社)』▽『根岸隆著『古典派経済学と近代経済学』(1981・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…古典派経済学(略して古典派あるいは古典学派ともいう)とは一般に,18世紀の最後の四半世紀から19世紀の前半にかけイギリスで隆盛をみる,アダム・スミス,リカード,マルサス,J.S.ミルを主たる担い手とする経済学の流れをさしている。D.ヒュームらアダム・スミスの先行者や19世紀のJ.ミル,J.R.マカロック,R.トレンズ,ド・クインシー,S.ベーリー,N.W.シーニアー,S.M.ロングフィールドらをどう扱うか,またJ.S.ミルに後続するフォーセットHenry Fawcett(1833‐84)やケアンズJohn Elliot Cairnes(1823‐75),フランスのセーやシスモンディをどう扱うかについて,多少考え方の相違があるが,おおむねこれらの人たちも含まれる。…
…スミス,リカードからイギリス経済学の正統を引くJ.S.ミルの《経済学原理》(1848)は,1871年にミル自身による最後の改訂版として出版されたが,そのころマルクスの《資本論》(1868),ジェボンズの《経済学の理論》(1871),メンガーの《国民経済学原理》(1871)など新しい動向を象徴する著作が現れるようになっていた。それは時代の変化とともに権威を失いつつあった古典学派(古典派経済学)に対する反乱の時代であった。その影響は経済学のさまざまな分野に及んだが,価値の理論の分野では,リカードのあいまいさに対するジェボンズの反発から生じた論争が,商品の価値の決定において生産費と需要の演じる役割をめぐって闘わされた。…
※「古典学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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