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吉川経基 きっかわ つねもと

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉川経基 きっかわ-つねもと

1428-1520 室町-戦国時代の武将。
正長(しょうちょう)元年生まれ。吉川之経(ゆきつね)の長男。安芸(あき)(広島県)山県郡大朝(おおあさ)の国衆(くにしゅう)。応仁(おうにん)の乱では東軍の細川勝元にしたがい功をたて,石見(いわみ)(島根県),安芸で領土を拡大。文明19年播磨(はりま)(兵庫県)の守護赤松政則に援軍をおくり,播磨福井荘の地頭職をえる。和歌,書にすぐれた。永正(えいしょう)17年1月8日死去。93歳。初名は元経。通称は次郎三郎。
【格言など】狩衣すそ野ときけば霧のうちにそことしわかぬ鹿の一声(「吉川家文書」)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の吉川経基の言及

【吉川氏】より

…駿河出身の中世武家。姓は藤原,南家武智麻呂の四男乙麻呂の後裔。乙麻呂11代の孫維清は,駿河国入江に住して入江氏を称す。吉川氏の始祖経義は,維清の玄孫で入江の吉川の地に住し,はじめて姓を吉河(または吉香)と称し,源頼朝に従属した。朝経のとき播磨国福井荘を充行われた。経光は承久の乱で北条氏に属したが,1221年(承久3)6月の宇治橋の合戦の功により安芸国大朝荘(広島県山県郡)の地頭職に補任された。その子経高は1313年(正和2)駿河国入江荘吉川邑より大朝荘に下向した。…

※「吉川経基」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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