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満済 まんさい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

満済
まんさい

[生]天授4=永和4(1378).2. 京都
[没]永享7(1435).6.13. 京都
室町時代初期の真言宗の僧。権大納言今小路師冬の子。足利義満の猶子 (ゆうし) となり,醍醐寺の実済,隆源の法を継ぎ三宝院門跡となった。応永2 (1395) 年醍醐寺第 74代座主 (ざす) ,同 16年東寺一長者に補せられ,寺務宣下 (せんげ) を受けた。

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デジタル大辞泉の解説

まんさい【満済】

[1378~1435]室町前期の真言宗の僧。京都の人。足利義満の猶子となり、醍醐寺座主(ざす)・東寺長者・准三后となった。足利義満・義持義教の3代にわたって尊信が厚く、幕政の中枢に関与し、黒衣の宰相とよばれた。日記「満済准后日記」はこの時代の基本史料。まんぜい。

まんぜい【満済】

まんさい(満済)

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百科事典マイペディアの解説

満済【まんさい】

室町時代の僧。権大納言(ごんだいなごん)藤原師冬(もろふゆ)の子。将軍足利義満(よしみつ)の猶子(ゆうし)となり,醍醐(だいご)寺三宝(さんぼう)院門主,醍醐寺座主(ざす)となり,1428年准三后(じゅさんごう)。
→関連項目畠山満家

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

満済 まんぜい

まんさい

満済 まんさい

1378-1435 室町時代の僧。
永和4=天授4年2月生まれ。権(ごんの)大納言今小路師冬(もろふゆ)の子。足利義満の猶子。真言宗醍醐寺(だいごじ)報恩院の隆源について得度。応永2年三宝院門跡(もんぜき),醍醐寺座主(ざす)となる。のち東寺長者,大僧正,准三后(じゅさんごう)。将軍足利義満,義持(よしもち),義教(よしのり)の護持僧として信頼あつく,幕政にもふかく関与。法身院(ほっしんいん)准后,将軍門跡,黒衣の宰相とよばれた。「満済准后日記」は当時の政情を知る重要史料。永享7年6月13日死去。58歳。法名は「まんぜい」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

満済

没年:永享7.6.13(1435.7.8)
生年:永和4/天授4(1378)
室町時代の僧侶。大納言二条師冬の子。母は聖護院坊官法印源意の娘。母が足利義満の正室日野業子に伺候していた縁で義満の猶子となり,醍醐寺報恩院隆源の門に入り得度,応永2(1395)年12月わずか18歳の若さで醍醐寺座主,三宝院門跡となった。同院門跡は賢俊,光済と歴代将軍の政治顧問格となる伝統があったうえ,自身の資質によって義満に寵され,同6年法印,同16年大僧正に上り,正長1(1428)年には准三后を宣下された。この間応永16年7月には東寺一長者,寺務を兼ね,また義満,義持,義教と3代の室町殿の護持僧として文字通り宗教界に君臨した。特に義持の信任厚く,応永30年前後から関東公方足利持氏が幕府と対立すると,有力守護らで構成する宿老会議の座長役に指定され,重臣らの見解を忠実に将軍に取り次ぐ周旋役として見事な役割を果たした。伏見宮貞成にも「天下の義者なり」と称えられている。世に「黒衣の宰相」ともいわれるが,自身は周旋役に徹して軍事に容喙することは決してなく,宿老らの信任も抜群で幕政は安定した。満済の没後,将軍義教が専制化,暴走し,嘉吉の変に至ったことを思えば,その優れた調停者ぶりが知られよう。『満済准后日記』は当該政治史の一級史料。<参考文献>辻善之助『日本仏教史』中世3,今谷明『室町幕府解体過程の研究』

(今谷明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

まんさい【満済】

1378‐1435(天授4∥永和4‐永享7)
室町時代初期の真言宗の僧。〈まんぜい〉ともいい,〈法身院准后(ほつしんいんじゆごう)〉ともよばれる。権大納言藤原師冬の子。将軍足利義満の猶子。醍醐寺報恩院隆源の門に入って得度し,1395年(応永2)三宝院25世門主,ついで醍醐寺74代座主となり,1428年(正長1)4月に准三后の宣旨をうけた。この間,法印,大僧正に叙され,東寺一長者(2度),四天王寺別当に補されている。また1392年(元中9∥明徳3),義満と一緒に京都法身院に移住して以降,法身院は満済の在京中の居所となり,正月の評定始を終えた将軍をここで迎える慣習も作られた。

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大辞林 第三版の解説

まんさい【満済】

1378~1435) 室町初期の真言宗の僧。醍醐寺座主。東寺長者。足利義満の猶子。朝廷・幕府の厚い尊信を得て准三后じゆんさんごうとなる。政務にも関係し黒衣の宰相と称された。「満済准后日記」を残す。まんぜい。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

満済
まんぜい

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世界大百科事典内の満済の言及

【満済准后日記】より

…醍醐寺座主満済の日記で,《法身院准后日記》ともいわれる。応永18年(1411)正月および同20年から同29年までと,応永30年から永享7年(1435)までの自筆本が現存し,多少の闕失はあるが25年間にわたってほぼ首尾一貫している。…

【満済】より

…この間,法印,大僧正に叙され,東寺一長者(2度),四天王寺別当に補されている。また1392年(元中9∥明徳3),義満と一緒に京都法身院に移住して以降,法身院は満済の在京中の居所となり,正月の評定始を終えた将軍をここで迎える慣習も作られた。1434年に病みがちとなった満済は,醍醐寺座主を門弟の義賢に譲ってここに退き,翌年6月に没した。…

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