金春禅竹(読み)コンパルゼンチク

デジタル大辞泉 「金春禅竹」の意味・読み・例文・類語

こんぱる‐ぜんちく【金春禅竹】

[1405~1470ころ]室町中期の能役者・能作者。名は七郎氏信。禅竹は法名。大和猿楽金春座中興の名手。世阿弥女婿。作品に「芭蕉」「定家」、理論書に「六輪一露之記」など。

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精選版 日本国語大辞典 「金春禅竹」の意味・読み・例文・類語

こんぱる‐ぜんちく【金春禅竹】

  1. 室町中期の能役者、能作者。妻は世阿彌の娘。名は貫氏、のち氏信。金春大夫となり、世阿彌の伝授を受ける。その能楽論には歌学、仏教の影響が強くみられる。作品に「雨月」「芭蕉」「玉葛(たまかずら)」、能楽論書に「五音次第」「六輪一露之記」「至道要抄」など。応永一二年(一四〇五)生。応仁二~文明三年(一四六八‐七一)の間に没。

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改訂新版 世界大百科事典 「金春禅竹」の意味・わかりやすい解説

金春禅竹 (こんぱるぜんちく)
生没年:1405-70ころ(応永12-文明2ころ)

室町時代の能役者,能作者。観阿弥とほぼ同時代に活躍した金春権守(こんぱるごんのかみ)の孫で,金春弥三郎の子。通称不明。実名氏信。ただし1437年(永享9)までは貫氏と称したらしい。大和猿楽四座の本家格たる円満井座(えんまんいざ)/(えまいざ)(竹田の座)の30代目の棟梁と自称し,〈金春式部大夫〉と署名している。晩年に出家し,法名が賢翁禅竹。後世は大夫号と法名を結んで金春禅竹と呼ばれることが多い。竹田大夫とも呼ばれ,〈竹翁居士〉と署名してもいる。世阿弥の女婿。祖父の金春権守は,世阿弥には田舎猿楽視された(《申楽談儀》)ものの,かなりの達者だったらしく,金春の名は彼に始まり,《昭君》の作者でもあった。父の弥三郎は1386年(元中3・至徳3)に興福寺衆徒から大夫に補任され,後に円満井座の棟梁の地位を金春権守の長兄光太郎の子の毘沙王(びしやおう次郎から譲られたものの,早世したらしく,禅竹は父の芸についてひと言もふれていない。そのためか禅竹は岳父の世阿弥に教導を仰ぐことが多かったようで,金春大夫になった後の1428年(応永35)には《六義(りくぎ)》を,1428年(正長1)には《拾玉得花》を世阿弥から相伝されており,その奥書や《却来華》の文言から,世阿弥が禅竹の将来に嘱望していたことが知られる。義兄観世元雅も〈一大事秘伝の一巻〉(《花鏡》か)を見せるなど,禅竹に好意的であった。現存する2通の禅竹あて世阿弥書状も両者の親密な関係を語っており,世阿弥の佐渡配流中に禅竹が料足を送り,世阿弥の妻の寿椿(じゆちん)を扶養していたことも知られる。世阿弥著述の秘伝書を預かってもいたらしく,37年(永享9)貫氏書写の宝山寺本《花鏡》は,その間に禅竹が写したものと推定されている。

 世阿弥没後の能界を代表したのは観世音阿弥(おんあみ)と金春の禅竹であった。将軍に後援された音阿弥ほど花やかではなかったが,禅竹は,本拠地の大和はもとより河内丹波近江山城から北陸にまで及ぶ広範な活動で,金春座を観世座に対抗する勢力たらしめ,晩年には音阿弥とともに斯界の双璧視されていた(心敬《ひとりごと》等)。金春流中興の祖といえよう。60歳ころに子の七郎元氏に家督を譲って出家し,64歳の1468年(応仁2)には山城の薪庄の多福庵に住んでいた(《猿楽縁起》)が,3年後の文明3年には故人であった(一条兼良《申楽後証記》)。

 禅竹は究理的性格の持ち主だったらしく,能楽論書著述の面で世阿弥の後継者であった。《五音之次第》《歌舞髄脳記》《五音三曲集》《六輪一露之記》《六輪一露之記注》,《六輪一露秘注(寛正本・文正本)》《至道要抄》《明宿集(めいしゆくしゆう)》などが彼の著で,その論はかなり難解で,理論的脆弱(ぜいじやく)さをも含んでいるが,仏教的哲理や歌論などを借りて能の本質を説明しようとしている点に特色がある。禅竹の理論の中核である六輪一露説に,前関白一条兼良,東大寺戒壇院の普一国師志玉,堺の禅僧南江宗沅(そうげん)らが協力しており,一休宗純と親しかったという説には根拠がないものの,禅竹が当代一流の人物から後援を受けていたことは確かである。そのことが彼の能楽論の深化に役立っていない点が惜しまれる。禅竹はまた能の作者としても注目に値する業績を残した。《賀茂》《定家》《芭蕉》《玉葛》《楊貴妃》《雨月》《小塩(おしお)》《小督(こごう)》など10数曲が彼の作と推定されており,主題不明確の難はあるものの,花やかさの中に哀愁感や渋みをたたえた佳曲が多い。能楽論の場合と同様に同等の評価はできないが,能作の面でも禅竹は岳父世阿弥の後継者であったと言えよう。
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朝日日本歴史人物事典 「金春禅竹」の解説

金春禅竹

没年:文明1前後?(1469)
生年:応永12(1405)
室町中期の能役者。世阿弥の能を独自に発展させ,金春流隆盛の基礎を固めた。実名氏信。ただし永享9(1437)年までは貫氏と称したか。晩年の法名が賢翁禅竹で,後世には大夫号と法名を合わせて金春禅竹と呼ばれることが多い。祖父に金春をはじめて名乗った金春権守がいる。父弥三郎は早世したらしく,世阿弥の娘婿となった禅竹は,世阿弥を実質的な指導者と仰いだ。正長1(1428)年には,世阿弥から『六義』や『拾玉得花』の相伝を受け,後継者のひとりとして将来を嘱望された。世阿弥が佐渡に流されたときには,佐渡に送金し奈良に残る義母寿椿を扶養した。禅竹は,7歳年上の音阿弥ほどの派手さはないものの奈良を中心に地道に活動し,晩年には音阿弥に並称されるほどの評価を得た(心敬『ひとりごと』)。 60歳ごろに子の七郎元氏に家督を譲って出家し,一休宗純を慕ってか,山城の薪庄に多福庵を営んで移り住んだ。多福庵と禅竹という名は一体のもので,『五燈会元』などにみえる「多福一叢の竹」という,一休も好んだ禅僧のエピソードにちなむ命名だろう。禅竹には『六輪一露之記』『歌舞髄脳記』『五音三曲集』『明宿集』などの論書があり,難解ながら独自の思考が展開されている。能作では「賀茂」「定家」「芭蕉」「玉葛」「楊貴妃」「雨月」「小塩」など十数曲が禅竹作とされ,「野宮」「熊野」もその可能性が強い。代表作「定家」では禁断の恋を題材としてグロテスクと紙一重の冷えた世界が展開され,世阿弥を超える新しい能の世界が開拓されている。<参考文献>伊藤正義『金春禅竹の研究』

(松岡心平)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金春禅竹」の意味・わかりやすい解説

金春禅竹
こんぱるぜんちく
(1405―70ころ)

室町中期の能役者、能作者。金春流シテ方。実名は七郎氏信(うじのぶ)。金春流中興の大夫(たゆう)として、奈良を中心に活躍。世阿弥(ぜあみ)の娘婿。温厚誠実な人柄だったらしく、世阿弥の佐渡配流中は物心両面の援助をしており、芸の指導を仰いでいる。世阿弥から数々の伝授を受け、音阿弥(おんあみ)と併称された名手だが、演能活動の華々しい音阿弥に対し、芸術論、作能の分野で真価を発揮している。理論書に『六輪一露(ろくりんいちろ)』『歌舞髄脳記(かぶずいのうき)』『五音三曲集』『明宿集(めいしゅくしゅう)』ほか。世阿弥の理論を哲学的、仏教的に深め、また歌道との合一を説くが、抽象論に傾いている。これは、学僧の志玉、歌人の正徹(しょうてつ)、学者の一条兼良(かねら)との交友の影響もあろう。作品は世阿弥の夢幻能の系統に属し、『雨月(うげつ)』『芭蕉(ばしょう)』『玉葛(たまかずら)』『小塩(おしお)』など。閑雅な作風。『嵐山(あらしやま)』『一角仙人(いっかくせんにん)』などの作者、金春禅鳳(ぜんぽう)は禅竹の孫。

[増田正造]

『表章・伊藤正義編『金春古伝書集成』(1968・わんや書店)』

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百科事典マイペディア 「金春禅竹」の意味・わかりやすい解説

金春禅竹【こんぱるぜんちく】

室町時代の能役者,能作者。実名氏信。金春流の大夫。世阿弥の女婿で岳父から伝授を受けた名手。《六輪一露之記》《歌舞髄脳記》ほかの著作が多く,世阿弥の理論を哲学的に展開。作品は《定家》《雨月》《芭蕉》《玉葛(たまかずら)》など。閑雅な作風。金春禅鳳はその孫。
→関連項目小督竹生島

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金春禅竹」の意味・わかりやすい解説

金春禅竹
こんぱるぜんちく

[生]応永12(1405)
[没]文明2(1470)頃
室町時代の能役者,能作者。金春流シテ方 30世太夫。実名七郎氏信。前名弥三郎。毘沙王権守喜氏の曾孫,弥三郎の子。世阿弥の女婿として薫陶を受け,十郎元雅とも親交があり,地味な芸風ながら音阿弥と並ぶ名手であった。世阿弥の佐渡配流中も赦免後もよく世話をしたという。『花鏡』の相伝を受け仏教や歌道に基づく芸術観を深めた。『六輪一露之記』『歌舞髄脳記』『五音三曲集』『拾玉得花』などの理論書がある。一休や一条兼良との交友も知られる。作能に『定家』『雨月』『芭蕉』『玉鬘』などの名曲がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「金春禅竹」の解説

金春禅竹
こんぱるぜんちく

1405~70?

室町中期の能役者・能作者。大和猿楽四座の本家格の円満井(えんまんい)座の棟梁で金春大夫。実名貫氏(つらうじ)・氏信。法名賢翁禅竹。竹翁(ちくおう)・賢翁・式部大夫・竹田大夫とも称する。金春権守の孫。父は弥三郎。世阿弥の女婿。没年は1468~71年(応仁2~文明3)の間。大和を中心に各地で活動し,晩年は音阿弥に匹敵する実力者となった。禅竹は世阿弥に師事し,主要伝書はすべて所持または一見したらしく,世阿弥理論を総合して独自の論も加え,「歌舞髄脳記」「五音三曲集」「六輪一露之記」「至道要抄」「明宿集(めいしゅくしゅう)」などを著した。能では「芭蕉(ばしょう)」「定家」「小塩」「玉鬘(たまかずら)」「楊貴妃」などが彼の作と推定され,世阿弥の歌舞能を継承しつつ,哀愁美にみちた独自の世界を築いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金春禅竹」の解説

金春禅竹 こんぱる-ぜんちく

1405-1470? 室町時代の能役者シテ方。
応永12年生まれ。57代金春大夫。金春権守の孫。世阿弥(ぜあみ)の娘婿となり,相伝をうける。大和(奈良県)を中心に各地で活躍,音阿弥(おとあみ)とならび称され,金春座中興の祖といわれる。一条兼良(かねよし),志玉(しぎょく)らとも交流し,仏教や歌道をとりいれた能楽論を展開した。文明2年?死去。66歳? 名は貫氏,氏信。通称は竹翁,竹田大夫。著作に「歌舞髄脳記」,作品に「定家」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「金春禅竹」の解説

金春禅竹
こんぱるぜんちく

1405〜68
室町中期の能役者・作者。金春座中興の祖
実名は七郎氏信,禅竹は法名。1428年金春大夫となる。世阿弥の女婿として指導をうけ,一休宗純にも師事。幽玄の芸風を加え,金春流の基礎を確立した。理論家としてもすぐれ,芸論も多い。主著『至道要抄』。

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世界大百科事典(旧版)内の金春禅竹の言及

【猿楽】より

… このように猿楽能の大成に力を尽くしたのは観阿弥・世阿弥父子であるが,なんといっても,観阿弥における小歌がかりのメロディと,早歌のリズム(拍節理論)の結合,世阿弥における幽玄化の推進と複式夢幻能の確立・昇華という内的拡充,南都の春日神社・興福寺,多武峰(とうのみね)の談山神社・妙楽寺,それに室町幕府の庇護という外的条件が,この系統を正統化し,永続させるエネルギーとなるのである。世阿弥の長男観世元雅は,現世に生きる人間の魂の極限状況を叙すことをライフワークとし,世阿弥の女婿金春禅竹は,実作,理論ともに,岳父の世界の延長線を描いて,両人ともに卓抜である。このあたりが,猿楽能の第1次完成期であろう。…

【玉葛】より

四番目物金春禅竹(こんぱるぜんちく)作。シテは玉葛の霊。…

【定家】より

三番目物金春(こんぱる)禅竹作か。シテは式子(しきし)内親王の霊。…

【能】より

…近江猿楽には犬王(いぬおう)(後の道阿弥)という幽玄風の名手が出たが,後継者に恵まれず,室町中期から急速に衰えた。一方,大和猿楽は観世座を先頭に他の3座も力を伸ばし,観世元雅(もとまさ),金春禅竹(ぜんちく),観世信光(のぶみつ)らがそれぞれの持ち味の作能を行うなどして,他の地方の猿楽を圧倒した。 桃山時代の豊臣秀吉は大の能好きで,猿楽者の保護に気を配り,みずから舞台にも立った。…

【芭蕉】より

鬘物(かつらもの)。金春禅竹(こんぱるぜんちく)作。シテは芭蕉の精。…

【夢幻能】より

… 世阿弥以降も夢幻能は能作の中心,または基本であった。世阿弥の子息観世元雅(もとまさ)作の夢幻能は,彼が早世したこともあって《吉野琴》(廃曲)1曲しか確認できないが,女婿にあたる金春(こんぱる)禅竹には《定家(ていか)》《芭蕉》《玉葛》などがあり,花やかさを押さえた寂寥(せきりよう)感の漂う作風を特色とする。作者不明の《野宮(ののみや)》《東北(とうぼく)》《三輪》など,今日上演頻度の高い女能も世阿弥以後の作のようである。…

【楊貴妃】より

…鬘物(かつらもの)。金春禅竹(こんぱるぜんちく)作ともいう。シテは楊貴妃の霊。…

【六輪一露之記】より

…能楽論書。大和猿楽の金春(こんぱる)座中興の名手,金春禅竹(ぜんちく)の代表的著述の一つ。内容は,禅竹自身の六輪一露の説に,南都戒壇院の普一国師志玉(1379‐1463)が仏教の教理で,関白一条兼良(いちじようかねら)(1402‐81)が儒学,とりわけ宋学の立場からそれぞれ理論づけした加注を添え,さらに臨済宗の僧で後に還俗した南江宗沅(なんこうそうげん)(1356‐1463)の跋文を付して一書に編んでいる。…

※「金春禅竹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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