称光天皇(読み)ショウコウテンノウ

デジタル大辞泉 「称光天皇」の意味・読み・例文・類語

しょうこう‐てんのう〔シヨウクワウテンワウ〕【称光天皇】

[1401~1428]第101代天皇在位1412~1428。後小松天皇の第1皇子。名は実仁みひと皇嗣がなかったため、弟の後花園天皇が位を継いだ。

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精選版 日本国語大辞典 「称光天皇」の意味・読み・例文・類語

しょうこう‐てんのうショウクヮウテンワウ【称光天皇】

  1. 第一〇一代の天皇。後小松天皇の第一皇子。名は実仁(みひと)。応永二一年(一四一二即位。正長元年(一四二八七月嗣子がなかったため弟の後花園天皇皇位を継いだ。応永八~正長元年(一四〇一‐二八

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改訂新版 世界大百科事典 「称光天皇」の意味・わかりやすい解説

称光天皇 (しょうこうてんのう)
生没年:1401-28(応永8-正長1)

室町時代初期の,第101代に数えられる天皇。在位1414-28年。名は実仁(みひと)。法諱ほうき)は大宝寿。後小松天皇の第1皇子。生母は日野資国の娘資子(光範門院)。1412年(応永19)後小松天皇より受禅,14年12月即位。28年7月20日死去。後嗣がなく,後小松院は伏見宮貞成(さだふさ)親王の第1王子彦仁(ひこひと)王(後花園天皇)を猶子として皇位を継がせた。生前病弱のため政務に実績なく,また激しい気質で奇矯言動が目だったことは《看聞(かんもん)日記》など当代の日記にくわしい。陵は京都市伏見区深草坊町の深草北陵。
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朝日日本歴史人物事典 「称光天皇」の解説

称光天皇

没年:正長1.7.20(1428.8.30)
生年:応永8.3.29(1401.5.12)
室町前期の天皇。後小松天皇の第1皇子。母は日野資国の娘資子(光範門院)。初名を躬仁といったがのち実仁と改める。法名は大宝寿。応永19(1412)年,後小松天皇より受禅,時に12歳。同21年即位。母方の祖父日野資国の妹業子,資国の兄資康の娘康子も足利義満のもとに嫁ぎ,康子の妹栄子は義持の室となるなど日野一族と室町将軍家との結びつきは強かった。在位中,父の院政が続き,一族の日野光子を典侍として迎えたが,天皇は病弱で子はなく,正長1(1428)年皇位を伏見宮貞成親王の子彦仁親王(後花園天皇)に譲り,28歳で崩じた。<参考文献>肥後和男他『歴代天皇紀』

(小森正明)

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百科事典マイペディア 「称光天皇」の意味・わかりやすい解説

称光天皇【しょうこうてんのう】

室町初期の天皇。在位1414年−1428年。後小松天皇の第1皇子。諱(いみな)は実仁(みひと)。1412年後小松天皇の譲りを受けて践祚(せんそ)。天皇は病弱で,奇矯の言動が目立ったといい,在位中は後小松上皇の院政が続いた。
→関連項目看聞日記後花園天皇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「称光天皇」の解説

称光天皇 しょうこうてんのう

1401-1428 室町時代,第101代天皇。在位1412-28。
応永8年3月29日生まれ。後小松天皇の第1皇子。母は藤原資子(光範門院)。持明院統の父の譲位をうけて即位し,父が院政をおこなう。父の代に実現した南北朝合一の条件である持明院(北朝)・大覚寺(南朝)両統迭立(てつりつ)に反すると非難され抗争がおきた。生来病弱で,皇子はなく,皇位継承などをめぐって父と対立したまま,正長(しょうちょう)元年7月20日死去。28歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は躬仁(みひと),実仁。法名は大宝寿。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「称光天皇」の解説

称光天皇
しょうこうてんのう

1401.3.29~28.7.20

在位1412.8.29~28.7.20

後小松天皇の第1皇子。名は躬仁(みひと),のち実仁(みひと)。母は日野資国(すけくに)の女光範門院資子。1412年(応永19)践祚(せんそ)。即位に対し,後亀山天皇の孫小倉宮や旧南朝の遺臣たちは,南北朝合一の条件の一つである両統迭立(てつりつ)の原則にたがうとして各地で挙兵。28年(正長元)幕府により鎮圧された。同年皇子のないまま土御門(つちみかど)皇居の黒戸御所で死去。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「称光天皇」の意味・わかりやすい解説

称光天皇
しょうこうてんのう
(1401―1428)

第101代天皇(在位1412~28)。名は実仁(みひと)、躬仁(みひと)。法諱(ほうい)大宝寿。後小松(ごこまつ)天皇の第2皇子。母は光範門院藤原資子(すけこ)(父日野資国(すけくに))。1412年(応永19)8月践祚(せんそ)、14年12月即位した。28歳で没したが、嗣子(しし)がなかったので皇弟後花園(ごはなぞの)天皇(後崇光(ごすこう)第1王子、後小松猶子(ゆうし))が後を継いだ。陵墓は京都市伏見(ふしみ)区の深草北陵。

[小野信二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「称光天皇」の意味・わかりやすい解説

称光天皇
しょうこうてんのう

[生]応永8(1401).3.29. 京都
[没]正長1(1428).7.20. 京都
第 101代の天皇 (在位 1414~28) 。名は実仁 (みひと) ,法諱は大宝寿。後小松天皇の皇子,母は日野資国の娘,光範門院藤原資子。応永 19 (12) 年後小松天皇の禅を受けて践祚し,同 21年即位。天皇には嗣子がなく,後小松天皇の猶子 (ゆうし) で皇弟にあたる後花園天皇が跡を継いだ。陵墓は京都市伏見区深草坊町の深草北陵。

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367日誕生日大事典 「称光天皇」の解説

称光天皇 (しょうこうてんのう)

生年月日:1401年3月29日
室町時代の第101代の天皇
1428年没

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