吉永郷(読み)よしながごう

日本歴史地名大系 「吉永郷」の解説

吉永郷
よしながごう

建武元年(一三三四)七月一二日の後醍醐天皇綸旨案(南禅寺文書、以下とくに断らない限り同文書)に吉永郷とみえる(→江富郷。観応三年(一三五二)九月二一日、足利義詮は遠江国守護今川範国に対し当郷などでの軍勢による濫妨狼藉の停止を命じ(足利義詮御教書)、さらに貞治三年(一三六四)二月二六日、建武二年の太政官符を受けた官使・守護使の入部停止、国役等の免許の御教書が再度発給されている(足利義詮御判御教書案)。貞治六年一〇月二日、伊勢神宮の役夫工米や国中の段米・棟別、恒例臨時の公役等が免除され(官宣旨案)幕府も役夫工米の免除を追認し、今川範国による催促停止を命じた(康暦二年六月一一日斯波義将奉書)


吉永郷
よしながごう

川合かわい町吉永と大田町吉永を含む地域に比定される。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「あのゝよしなか 十六丁二反六十卜」とある。安濃あの吉永とあるのは邑智おおち郡の吉永と区別するためと考えられる。明徳元年(一三九〇)四月河合かわい郷と吉永郷の地頭職が小笠原長弘に安堵されている(同月一〇日「大内義弘遵行状案」庵原家文書)。小笠原氏は両郷の領有によりしだいに石見国東部に勢力を拡大していったようである(丸山伝記)。永禄一二年(一五六九)一一月尼子勝久は米原平内兵衛尉に大野おおの(現松江市)五〇〇貫の替地として吉永三〇〇貫などの地を与え(同月一三日「尼子勝久書状」米原家文書)、石見における尼子方の勢力回復を図ろうとするが失敗に終わった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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