吉田竹子(読み)ヨシダ タケコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吉田竹子」の解説

吉田 竹子
ヨシダ タケコ


職業
筑前琵琶奏者

肩書
吉田流創始者家元

旧名・旧姓
栗山

別名
号=瑞晃

生年月日
明治4年 6月22日

出生地
福岡県

経歴
博多花柳界技芸を磨き、大富豪の加野熊次郎の庇護のもとに明清楽、八雲琴などを学んだ。三味線や月琴が巧みで、琵琶と三味線の折衷を試み、明治26年筑前琵琶の第1作「谷村計介」を作曲した。伊藤博文金子堅太郎の庇護により東京でも活躍し、のちに全国に普及させ、現在の筑前琵琶の基礎を築いた。

没年月日
大正12年 11月5日 (1923年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「吉田竹子」の解説

吉田 竹子
ヨシダ タケコ

明治・大正期の筑前琵琶奏者 吉田流創始者・家元。



生年
明治4年6月22日(1871年)

没年
大正12(1923)年11月5日

出生地
福岡県

旧姓(旧名)
栗山

別名
号=瑞晃

経歴
博多の花柳界で技芸を磨き、大富豪の加野熊次郎の庇護のもとに明清楽、八雲琴などを学んだ。三味線や月琴が巧みで、琵琶と三味線の折衷を試み、明治26年筑前琵琶の第1作「谷村計介」を作曲した。伊藤博文、金子堅太郎の庇護により東京でも活躍し、のちに全国に普及させ、現在の筑前琵琶の基礎を築いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「吉田竹子」の解説

吉田竹子

没年:大正12(1923)
生年:明治4.6(1871)
明治大正期の筑前琵琶創始者のひとり。福岡藩士栗山幽斎のひとり娘として生まれ,孤児となってから博多の花柳界で育った。美貌美声,三味線の手腕により人気を集めた。富豪加野(加能)熊次郎の庇護を得て明清楽や八雲琴をも修め,筑前盲僧琵琶もこなした。明治26(1893)年,文士今村外園の作詞になる「谷村計介」に曲をつけ演奏したのが,近代琵琶楽のひとつとしての筑前琵琶(当時は筑紫琵琶)の始まりといわれる。そこには橘智定(初代旭翁)や鶴崎賢定の影響もあった。伊藤博文,金子堅太郎の庇護により東京でも活躍し,筑前琵琶の全国普及に貢献した。門弟に,一世を風靡した高峰筑風(高峰三枝子の父)がいる。

(山口修)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田竹子」の解説

吉田竹子 よしだ-たけこ

1871-1923 明治-大正時代の琵琶(びわ)演奏家。
明治4年6月22日生まれ。博多の花柳界にそだつ。初代橘旭翁(たちばな-きょくおう)にまなび,明治26年筑前(ちくぜん)琵琶の第1作「谷村計介」を作曲。伊藤博文らの後援をえて東京進出をはかる。筑前琵琶の創始者のひとり。弟子に高峰筑風がいる。大正12年11月5日死去。53歳。筑前(福岡県)出身。号は瑞晃(ずいこう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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