デジタル大辞泉
「吉田追風」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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吉田 追風(23代目)
ヨシダ オイカゼ
明治〜昭和期の大相撲行司
- 生年
- 安政2年(1855年)
- 没年
- 昭和14(1939)年9月12日
- 出身地
- 熊本市
- 本名
- 吉田 追風善門
- 経歴
- 相撲の司家である吉田家の23代目。明治10年の第14代横綱境川から、昭和13年の第35代横綱双葉山まで、61年間にわたり22人の横綱に免許を与えた。明治維新後の相撲の衰退を憂え、国技として復興させるため献身的努力を続け、今日の隆盛の基礎を築いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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吉田追風(初代) よしだ-おいかぜ
?-1234 鎌倉時代の相撲行司。
家伝によると後鳥羽(ごとば)天皇が節会(せちえ)相撲を再興する際,まねかれて追風の名をあたえられ豊後守(ぶんごのかみ)となったという。子孫は代々追風と号して相撲行司をつとめ,吉田司家(つかさけ)とよばれた。天福2年4月20日死去。越前(えちぜん)(福井県)出身。名は家次。通称は善左衛門。
吉田追風(23代) よしだ-おいかぜ
1855-1939 明治-昭和時代前期の相撲行司家元。
安政2年生まれ。肥後熊本の生家吉田司家(つかさけ)をつぐ。明治維新後,廃止論まででた相撲の復興につくした。14代横綱境川から昭和13年の35代双葉山まで22人に横綱免許を授与した。昭和14年9月12日死去。85歳。本名は善門。
吉田追風(19代) よしだ-おいかぜ
?-1818 江戸時代中期-後期の相撲故実家元。
寛政元年2代谷風梶之助と小野川喜三郎に横綱免許を授与し,3年将軍徳川家斉(いえなり)の上覧相撲のときに行司をつとめる。以後,相撲行司や横綱の免許を授与する権限を独占した。文政元年10月8日死去。通称は善左衛門。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の吉田追風の言及
【行司】より
…彼らは幕府の相撲禁止令の原因となる喧嘩争乱を除くため,各地の相撲集団に相撲作法(規則)と故実を伝える役目をもち権威があった。享保時代(1716‐36),九州熊本細川家家臣吉田追風が相撲の家元として勢力をもち,1791年(寛政3)の徳川家斉上覧相撲を機に,江戸の相撲集団を支配下において故実門人と横綱の免許を与えて権威づけ,幕末には大坂相撲を支配して全国を傘下においた。しかし第2次世界大戦後は形式だけの存在となっている。…
※「吉田追風」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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