コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

吉田司家 ヨシダツカサケ

大辞林 第三版の解説

よしだつかさけ【吉田司家】

相撲の家元。熊本の行司吉田追風おいかぜが、1789年谷風・小野川両力士に横綱土俵入りを免許、これを機に全国に数家あった相撲故実を伝える行司の家と相撲集団を支配したのに始まる。行司・力士免許の授与を行なってきたが、1951年(昭和26)以後、日本相撲協会に権限を譲り形式的存在となった。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉田司家
よしだつかさけ

相撲(すもう)行司の家元。初代は鎌倉時代の相撲行司で、代々この名を号した。江戸時代、熊本の細川家に家臣として仕えていた吉田追風(おいかぜ)は、1791年(寛政3)の将軍の上覧相撲を機に、相撲司家として、力士・行司を全国的に支配し、相撲作法を厳守させ、故実門人と横綱免許の証状を与えていた。1951年(昭和26)以降、横綱免許などの権限を日本相撲協会に譲り、現在は絶縁になっている。[池田雅雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の吉田司家の言及

【横綱】より

…横綱に関する古文書は少なく,1773年(安永2)に行司式守五太夫の書いた伝書によると,その起源は,城や屋敷を建てるときの地鎮祭に大関2人を招き,おはらいの地踏みを行ったが,その儀式免許を京都五条家が〈横綱之伝〉を許すといったことから始まったとされる。これを職業相撲の興行の土俵に移したのが吉田司(よしだつかさ)家で,89年(寛政1)11月場所中に,初めて谷風梶之助小野川喜三郎の両関脇(実力大関)に,〈横綱〉というしめ縄を腰にまとって土俵入りする免許を与えた。当時,横綱は腰にまとったしめ縄をさすのみで,もちろん番付には関係がなく,また大関の称号でもなかった。…

※「吉田司家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

吉田司家の関連キーワード吉田追風(19代)吉田追風(23代)吉田追風(初代)大木戸森右衛門横綱土俵入り若島権四郎大錦大五郎宮城山福松谷風梶之助細川綱利吉田追風手数入り五条家手数

今日のキーワード

存亡の機

引き続き存在するかここで滅びてしまうかという非常に重大な時。存亡の秋(とき)。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

吉田司家の関連情報