吉雄菊瀕(読み)よしお きくひん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉雄菊瀕」の解説

吉雄菊瀕 よしお-きくひん

1829-1891 幕末-明治時代の医師。
文政12年3月16日生まれ。豊前(ぶぜん)小倉藩(福岡県)藩医。豊後(ぶんご)日田(ひた)の咸宜(かんぎ)園で儒学を,筑前(ちくぜん)秋月で医学をまなび,侍医となる。さらに長崎に遊学,大坂緒方洪庵,長門(ながと)の青木周弼(しゅうすけ)にまなぶ。嘉永(かえい)7年藩内最初の種痘を実施した。のち藩校育徳館で洋学をおしえた。明治24年10月25日死去。63歳。名は正安。字(あざな)は公礼。通称は敦。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例