名倉村(読み)なぐらむら

日本歴史地名大系 「名倉村」の解説

名倉村
なぐらむら

[現在地名]高野口町名倉・向島むこうじま

紀ノ川中流域右岸の氾濫原上にある。東は名古曾なごそ村・小田おだ村、西は大野おおの村。永承四年(一〇四九)一二月二八日の太政官符案(又続宝簡集)にみえる「長杜村」を当地にあてる説もある。嘉禎元年(一二三五)一二月二三日の僧安能田地充文(同集)に「伊都郡河北方名蔵」とみえる。応永一六年(一四〇九)八月日の政所上方名寄下書(同集)には「清水村付名蔵」とあるが、この清水しみず村はのちの名倉村で、高野山領官省符かんしようふ庄上方に付属する地であった。


名倉村
なぐらむら

[現在地名]藤野町名倉

相模川上流右岸、段丘上に位置し、東は日連ひづれ村、西は甲州鶴島つるしま(現山梨県北都留郡上野原町)、南は牧野まぎの村、北は相模川を挟んで小淵おぶち村に接する。村域南部をあき(秋山川)が東流する。那倉村とも記した。小田原衆所領役帳に「那倉之村、是も半所務」として「十貫文 大和守所務、三貫文 神領、以上十三貫文」とみえる。

近世は初め幕府直轄領、寛文四年(一六六四)久世(のち下総関宿藩)領、貞享元年(一六八四)幕府直轄領。


名倉村
なくらむら

[現在地名]白川河岐かわまた 本郷ほんごう両神もろがみ

飛騨川と白川の合流地点、飛騨川左岸、白川の右岸の河岸段丘上の山麓に位置する。北は葛牧くずまき村、東は田代山寺たしろやまでら村、南は白川を隔てて小原おばら村、西は飛騨川を隔てて武儀むぎ大利おおり村。慶長郷帳では高四二石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では遠山友政(苗木藩)領で、以後幕末まで同じ。正保郷帳では石倉村とあり、田方八石余・畑方三三石余。明治五年(一八七二)の村明細帳では田高一七石余・畑高三五石余・屋敷高一石余、そのほか新田高三斗余、家数二六・人数一五〇(男七九・女七一)、馬一八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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