ソ連赤軍の秘密
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第二次世界大戦下の日本における諜報(ちょうほう)活動に関与した機関関係者が大量検挙された事件。中心人物のリヒャルト・ゾルゲ(ドイツ共産党出身、ソ連邦赤軍第四本部所属)は1930年(昭和5)から1932年にかけ中国の上海(シャンハイ)に派遣され、アメリカ人記者ジョンソンの名前で、朝日新聞社特派員尾崎秀実(ほつみ)らの協力を得て情報活動に従事していたが、いったんモスクワに帰還したあと、1933年9月ドイツのフランクフルター・ツァイトゥンク紙などの記者として来日した。その目的は、満州事変以降の日本の対ソ政策、対ソ攻撃計画を探知し、日本のソ連への侵入を阻止することにあった。ゾルゲは尾崎と再会し、画家宮城与徳(みやぎよとく)、通信員ブランコ・ド・ブーケリッチ(ユーゴスラビア)、写真技術者マックス・クラウゼン(ドイツ)らと情報組織を確立し活動を開始した。
ゾルゲらの活動は、1936年の二・二六事件以降本格化するが、その優れた能力と高い地位によってきわめて正確な情報が集められ、ソ連に提供されたという。ゾルゲは、ドイツ大使館の信頼を得、大使オットの私設情報官に就任し、尾崎は朝日新聞社を退社後、昭和研究会のメンバー、近衛文麿(このえふみまろ)内閣嘱託、満鉄調査部嘱託となり、この両者の活動によってきわめて広範な情報を入手することに成功した。
1941年10月10日、国際スパイの嫌疑で宮城が逮捕され、ついで尾崎、ゾルゲら、いわゆるゾルゲグループが次々に検挙され、国防保安法、軍機保護法、治安維持法、軍用資源秘密保護法違反で起訴される。1943年9月ゾルゲ、尾崎に死刑判決、1944年11月7日に処刑された。宮城とブーケリッチは獄死した。日本人関係者には、水野成(しげる)、河村好雄、船越寿雄(ともに獄死)、川合貞吉(かわいていきち)、久津見房子(くつみふさこ)、北林トモらがいた。
[山田敬男]
『尾崎秀樹著『ゾルゲ事件』(中公新書)』▽『小尾俊人解説『現代史資料 ゾルゲ事件』全4冊(1962~71・みすず書房)』
R.ゾルゲと尾崎秀実(ほつみ)を中心とする対日諜報機関関係者の検挙事件。ソ連赤軍第4本部に所属し諜報活動に従事していたゾルゲは,偽装のためナチス党へ入党,ドイツの新聞社の日本特派員として1933年9月に来日し,ドイツ大使館から絶大な信頼をかちえていた。尾崎は朝日新聞社特派員として上海に滞在中の1930年にゾルゲと知り合い,34年5月に再会して諜報グループを結成した。その後尾崎は,中国問題の高名な評論家としての地位を築く一方,昭和研究会に入会,37年第1次近衛文麿内閣のもとで内閣嘱託を務めるなど近衛のブレーンとして活躍し,近衛内閣総辞職後は南満州鉄道嘱託となり,諜報活動に従事した。諜報機関員はゾルゲ以下外国人3名と日本人13名で,その情報網は政界上層,ジャーナリズムから右翼や無産団体の一部にまで及んでいた。ゾルゲらの目的は日ソ間の平和維持にあり,彼らの活動は戦時下における反戦平和活動の特殊な一形態であった。ゾルゲらは国家の極秘文書などを盗みだしたのではなく,見聞入手した情報に綿密な分析を加え,的確な判断と見通しを無線でソ連へ通報していた。彼らの情報はきわめて確度が高く,とくに41年6月の独ソ開戦の予知や9月の太平洋戦争開戦に関する御前会議決定の通報などに顕著な成果をあげた。事件は,伊藤律が北林トモを密告したことから発覚し(《特高月報》1942年8月分),9月28日に北林,10月15日に尾崎,18日にゾルゲらが逮捕され,42年6月8日までに諜報機関員と犬養健,西園寺公一(きんかず)らの情報提供者合計35名が逮捕された。そのうちの18名が治安維持法,国防保安法,軍機保護法などの違反容疑で起訴され,ゾルゲと尾崎が死刑,2名が無期懲役のほか全員有罪の判決をうけたが,西園寺は執行猶予,犬養は上告審で無罪となった。ゾルゲと尾崎は44年11月7日に処刑され,5名が獄死したが,9名は45年10月に釈放された。
執筆者:木坂 順一郎
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ソ連防衛を最大の任務とする諜報活動を8年間展開したゾルゲらが,太平洋戦争直前に検挙された事件。1933年(昭和8)9月に来日したゾルゲ(当時はソ連赤軍の諜報機関に所属)は,ラムゼイ機関とよばれる諜報網を組織した。主要メンバーは近衛文麿側近の尾崎秀実(ほつみ),画家宮城与徳(よとく),特派員ブーケリッチ,無線技師クラウゼンら。同機関は日本の政界や軍部,ドイツ大使館などに深く浸透して機密情報を収集し,分析を加えてソ連に通報した。重要情報に日独防共協定の全容,独ソ戦開始の予告,御前会議決定の推移などがある。伊藤律の供述を糸口に,41年10月前後に関係者35人が逮捕され,44年11月7日ゾルゲ・尾崎は国防保安法・治安維持法違反などにより死刑に処せられた。
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…37年夏,長谷川浩と共産党再建活動を始め,39年8月からは満鉄東京支社調査室に勤務。同年11月の再検挙で転向,40年8月には保釈されて満鉄に復帰し,尾崎秀実に急接近したが,保釈のおりの不用意な供述が,のちにゾルゲ事件の発覚を招いた。41年9月の保釈取消しで満鉄を解雇。…
※「ゾルゲ事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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