昆虫研究家。美濃(みの)国本巣郡船木村(現、岐阜県瑞穂(みずほ)市重里(しげさと))に生まれる。岐阜農学校を卒業し、母校と華陽学園に数年在職したのち、東京帝国大学で研修を積んだ。その後、岐阜師範学校および中学校で教鞭(きょうべん)をとったが、1896年(明治29)に退職、岐阜市に名和昆虫研究所を設立した。以後はもっぱら昆虫学と農作害虫などの予防と駆除の普及に努めた。1897年に出版した『薔薇(ばら)の一株昆虫世界』はバラをめぐって展開される昆虫の生活を描いて人々の注意を促している。ほかに『新式昆虫標本製作法』などの著書もあり、また名和昆虫研究所から1897年以降1946年(昭和21)まで発行した月刊誌『昆虫世界』には多数の論説、報告などを執筆した。名和昆虫研究所は岐阜市岐阜公園内にあり、第二次世界大戦までは全国害虫駆除講習会を開催するなど日本の昆虫学界に大きな貢献をした。1907年(明治40)には記念昆虫館が、1919年(大正8)には名和昆虫博物館が建設され、現在は昆虫博物館を中心にギフチョウ(1883年に靖が発見)などの常設展示、昆虫教室などの活動をしている。2代目梅吉、3代目正男、4代目秀雄が後を継いでいる。
[中根猛彦]
明治・大正期の昆虫学者 名和昆虫研究所設立者。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
(鈴木善次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…水族館に似た構造の建物に陸槽を並べ世界各地から採集した珍しい昆虫を展示する形式はヨーロッパの主な動物園に次々にできた。 日本では1896年名和靖が岐阜公園に昆虫博物館を設立し,標本と同時に生態展示も試みた。しかし本格的なものは1954年宝塚昆虫館に設けられ,つづいて57年豊島園にもできた。…
※「名和靖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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